2013年1月31日木曜日

三鷹といえば太宰治

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東京の西の郊外、武蔵野の自然が残る場所に太宰治は住んでいた。先々週、とある冬の寒い朝、天気がいいので三鷹まで電車で出かけた。いつか行こうと思っていた場所へ。

三鷹駅の南口を出て左側へ進むと玉川上水が流れている。普段、中央線に乗っていても気がつかない。
昭和23年、ここで太宰治(本名:津島修治)は山崎富栄と入水自殺した。享年38才。山崎は28才だった。大正8年生まれだから、森光子のひとつ年上。
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玉川上水に沿って歩いていくと太宰が玉川上水の様子を記した「乞食学生」という作品からの引用を示す碑がある。

そしてもう少し行くと太宰の故郷・津軽金木町から運ばれた「玉鹿石」がひっそりと置かれた場所がある。何も書き記されていないが、ここが太宰が入水した場所らしい。グーグルストリートビューで確認しようとすると、うっかり通り過ぎてしまう。その「玉鹿石」自体の写真を撮るのを忘れた。

今では小川に過ぎず、とても入水できそうな場所ではないが、当時はもっと水量があったらしい。両側はビルやマンションが立ち並び、とてもここで命を絶とうとは思えない。さらに先の橋から下を覗き込むとカモが泳いでいた。のどかな冬の日。
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玉川上水から歩いて20分ほどのところに禅林寺がある。門前は全て駐車場になっていてなんら風情のない寺だ。本堂すらよくわからない。
正面の左手から墓地へ回る。周囲は交通量の多い道路が走っているが、ここはひっそりとしている場所だ。
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太宰治の墓へ初めて来た。

太宰治の墓には供えられたばかりと思われる生花と火のついた線香があった。ついさきほど、中年外国人4,5人の男女のグループとすれ違った。どうやら太宰を愛好するグループだったようだ。ひょっとしたらフランス人だったかもしれない。

ちなみに、太宰の墓の斜め向かいは森鴎外の墓だ。こちらは生花もなくひっそりしていた。

今まで何回か深大寺へ向かう際に、この寺の近くを通りかかったことがあったのだが、今回やっとここを訪れることができた。自分は2008年に津軽の金木町の太宰の生家を訪れた。そして今回、太宰終焉の地も訪れた。

太宰の作品は現在でも人気だ。今でも墓前に花を手向ける人が絶えない。まだ読んでない作品がたくさんあるので今年はなんとか1冊でも多く読んでみたい。

2 件のコメント:

  1. 川崎鶴見(仮)2013年1月31日 23:51

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    玉川上水沿いに歩くと
    君の小さなアパートがあった
    夏には窓に竹の葉が揺れて
    太宰の好きな君は 睡眠薬飲んだ
    ��「まぶしい夏」森田童子 Goodーbyeより)
    森田童子ってちょっと懐かしい歌手ですが
    元YUIさんにアフロ被せて、サングラスにすれば
    姿形もギター弾く姿も可愛い声も歌い方さえもそっくりだって
    知ってましたか
    太宰の作品では「津軽」が好きですね。
    青森に居た頃は仕事で金木町を何度も通ったものです。

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    実は自分も「津軽」を読んで金木から竜飛まで行ったのです。

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