先日、10年ぶりに沖縄に行かなきゃならない用事ができた。東京は寒いだけなのですぐに帰ってもしょうがない。2泊3日の予定を組んだのだが、自分はそれほど観光というものに関心がない。
でもせっかく来たんだし、沖縄にもお金を落とさないとと考え、自分が沖縄でただ1箇所、「行ってみたい」と思った場所へ行ってきた。その場所とは、新垣結衣が中学3年間をすごした大里村である。
新垣結衣の出身校はウィキ等で簡単に調べられる。ところが、この場所まで行く方法がなかなか分からなかった。というのも、大里村は現在、周辺自治体と合併し南城市となってしまっていた。
土地カンがないために悪戦苦闘の末、沖縄には琉球バスのほかに沖縄バスという会社があって、そこへ行くには仲程というバス停が近いらしいという事が1時間の調査でようやく判明。
大里村とは「おおさとむら」ではなく、「おおざとそん」と読むのが正しい。う~ん、いろいろと難しい。
ネットで調べてみたのだが、自分はほとんど他人のブログというものを見ることがないのだが、いろいろと見てみても、実際にこの場所へ巡礼したという記事にたどり着けなかった。
新垣結衣は天使だ。その天使を作った食べ物も体験したかった。魚の揚げ物がついた定食をいただいた。昼休み時間で地元のおっちゃんたちがごはんに来ていた。周囲の会話が「ああ、沖縄のイントネーションだ!」と感動。
バス路線図を手に入れた。そしてバス乗り場へ
沖縄の人々は移動手段を車に頼っていて、バスにはあまり乗らないらしい。割高だという声もある。バス会社はどこも苦しいのかもしれない。
時刻表を確認。40系統大里線は1時間にだいたい2,3本はある。よし、この時間のバスに乗ろうと決めて、まず出かける場所があった。
新垣結衣は那覇で生まれ育ち、中学生になるとき大里村へ移り住んだのだ。ガッキーは都会っ子だったのだ。ぐるっと周囲を歩いてみた。なんとなくだが、東京でいうと上野浅草的な雰囲気の場所だ。どの建物も古い感じがする。
この日は平日でもちろん学校もやっているので、さっと1枚撮ったらすぐに立ち去る。ウロウロしてたら不審者と思われる。
沖縄って、毎年荒れた成人式のニュースを見ていて、若者が荒れてるイメージがあったが、じっさい行ってみるとそんな不良とかは見なかった。
でもひょっとすると、新垣結衣の両親は娘を育てるのに、環境のいい那覇郊外の田園を選んだのかもしれないなと思った。となると、これほどの天使をはぐくんだ大里村とはいかなる楽園なのか?なんとしても行って見てみないといけないと思った。
どんな場所で育ったのか?どのような風景があるのか?
期待してバスを待つ。ただし、自分は具体的な場所を知ってはいない。唯一思いつく場所が、代表的写真集ちゅらちゅらにも登場する大里中学校だ。
たどり着いた場所はとくに田舎というわけでもない、典型的な地方都市の郊外の住宅地だ。サトウキビ畑もあるが、ファミマもある。ちょっと意外だった。
当初、あまりに田舎だと、「よそ者が来た!」と警戒されるんじゃないかと心配してた。思っていたより古民家がすくない。てか、ほとんどない。それほど歴史ある古い集落ではないのかもしれない。新興住宅地かもしれない。なるべく怪しまれないようにさっさと歩く。
ただし、ガッキーはローティーン向けファッション誌ニコラでモデルデビューするやいなや即人気モデルになってしまったので、どの程度通ったのかは不明。しかし、地元の友人は皆ここの生徒だろう。
村立と市立では印象がだいぶ違う。田舎をイメージしていたけど、実際は車で、バスで那覇から40分の住宅地だ。
この日はもちろん平日で授業中。写真をとって風景を眺めるのもそこそこに現場を立ち去る。
ああ、自分もガッキーと同じ年にこの中学に入って出会っていたら‥‥ と悔やんでみた。
足早にその場所を立ち去る。
そして、あっという間に人気モデルになり、東京へ出て人気女優になり、スターになった
自分にはこの街がどことなく中部イタリアに見えた。塔のようなものもあるし。
実は、これ以降の写真がiPhoneからPCに移動する際の事故ですべて失われてしまった。こんなことは初めてでちょっとショック。
まあ、30分ちょっと歩いて、またバス停に戻り帰ってきた。とくに観光するものもないし。
ファミマでシークアーサードリンクを買った。帰りのバスは3,4人しか客がいなかった。終点のバスターミナルまで乗ったのは自分だけだった。バス会社にすこしはお金をおとしてきた。
ガッキーも一度は乗ったかもしれないが、ほとんど車で那覇まで通ったのかもしれない。とすると、やはりガッキーが通った同じ道を通ったことになる。同じ風景を見ているのだ。ただ、本土とそれほどの差を感じなかった。実際に行って見ないとわからないことを知った。やはりムダではなかったと思う。
以上、大里村編 完
疑問への答えは全てこの中にあった。ガッキーオタには常識かもしれないが、初めて知ることだらけだった。
1988年6月11日、那覇市の病院で3人姉妹の末っ子として生まれた新垣結衣は、小学生時代にSPEEDに憧れアクターズスクールを4~6年生の間3回受けて3回とも落ちたと語られている。そして、
「私、6年生の夏休みに那覇の街中から村のほうへ引っ越したんですね。でも卒業までは同じ学校へ、ということで、高校生のお姉ちゃんと一緒に通ったんですよ。だから教室に着くのがいちばん早くて、その間みんなが来るのを待ちながらクラスで飼ってたハムスターと遊んでて。ハム太郎っていう名前だったんですけど、ホント可愛くて‥朝のその時間は本当に幸せだったなぁ☆」姉と一緒という事は、どうやらバス通学だったと考えていいようだ。親の車で那覇へ通学した可能性もあったが、これでその線はなくなった。小学生を送り迎えしていた高校生のお姉ちゃんも大変だったろう。
まあ、それほど本数がない路線バスで40分の道のりを通っていた姿が、実際に行って見たことで、いきいきと想像できる。
そして中1の夏休みに転機は起こった。2番目の姉の読んでいたnicolaのオーディションに応募して、受かったのだ。
「お母さんから“受かったよ”って聞かされたときには本当に嬉しくて泣きました☆」
「しましたね~。同じクラスの子で、一度席替えのときにおまじないをしたんですよ。そしたら本当に隣の席になって‥あのときはHAPPYだったなあ(^_^) でも結局一緒に帰ったり、電話や文通をするぐらいで‥。あれって付き合ったうちに入るのかなぁ(笑)。」お、落ち着け、俺!こ、これってつまりデートとかへは行っていないってことだな?つまり、これはつきあってないに等しい‥ハズ‥。そうだ、そうに違いない!そして卒業を期に上京
「相当悩みましたよー。中学がすごく楽しかったからみんなと同じ高校へ行きたかったし。でも東京へ来たほうがオーディションも受けやすいし、という話をもらって‥推薦入学届けを出すギリギリまで気持ちが揺れてました」中学生でみんなキツい決断してるんだなぁ‥。モデルの仕事を頑張るつもりだったんだ。上京してあっというまに「Shibuya15」で女優の仕事も始めてしまう。快進撃が始まる。運命を切り開いたんだなあ。
上京の日は15人ぐらい友人が集まって見送ってくれたという。生ゴーヤーをもらったという。東京のスーパーでもフツーにゴーヤー買えるけどね。そして東京ではマネージャー(女)と石田未来との3人での寮生活が高校卒業までつづく。
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仲間由紀恵 安室奈美恵
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文章が面白い!
ガッキーで検索したらたどり着きました。
返信削除私は南城市(旧大里村)出身です
既にご存じかも知れませんが・・・
ガッキーの家、大里中から徒歩10分ぐらいの所にありますよ~
ガッキーさん
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