2011年8月16日火曜日

関が原の古戦場を見学

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サマソニついでに関が原を見学してきた。友人の実家への途中で立ち寄って見た。といっても事前になにも下調べをしていなかったので、資料館へ向かった。

350円払って展示を見てみるけど、甲冑のレプリカとかあるけどそれほどのお宝はない感じだ。しかし、自分はほんの1,2年前まで「関が原って徳川家康と石田三成が戦って、家康が勝って江戸幕府を開いたんでしょ」という小学生知識しかなかった。いろいろ展示をみて多くのことを学んだ。
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関が原の戦いが人類史上最大規模の合戦のひとつであることを1年ぐらい前に知った。1対1のそんな単純な話でないこともわかってきた。展示の参加した諸侯戦国武将たちのその後などをひとつひとつ読んで見て、人生って本当にはかないな って思った。19歳から76歳まで。家臣たちと家族と名誉と信条のためどうしようもなく戦った。

ここは家康が首実検した最後の陣地
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汗が玉のように噴出す!暑い!山道をちょっと登ると石田三成の陣地跡

石田三成、享年41歳。人生とははかないのう…
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1600年にこの場所で天下分け目の戦いがあった。鈍感な自分でもこの土地をみていろいろなことがわかってきた。
あの山と山の間が島津義弘が命からがら適中を突破して逃げ帰った伊勢街道。
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島津義弘って開戦当時66歳!ええぇ!?
当時としては高齢だ。この人を本国に送り戻すために多くの若い命が失われた。
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左手に目を移すと蒲生郷舎の陣と大谷吉継の陣のあったあたり。
この武将の名前を知ったのはつい最近(笑)。自分は日本史オンチだったのだ。
さて、あの手前にある小さな山は・・・
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小早川隊1万5,000の大軍が東軍に寝返って駆け下りた松尾山。
ああ、石田三成の本陣に立ってみて初めていろいろ理解できた。こんなにも手に取るように様子がわかる。
小早川秀秋の裏切りを絶望の眼差しで見つめた三成と吉継の心中がイメージできてきた。
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こののどかな田畑にそのむかし数千の死体が…。平和に感謝します。
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開戦から6時間後、ついに石田三成の西軍敗走。実際にその場所へ行くとよくイメージできるわ~。それにしても暑い。
思っていた以上にこの何もない場所へやってくる観光客が多かった
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ヤギ乳のアイスクリームをいただきます。ちょっとは関が原町にもお金を落としていかないとね。
とてもおいしかったです
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石田三成の陣地のとなりは小学校でしたが今では甲冑を貸してくれる観光施設と、ヤギ乳アイスの工場。
まさにその関が原で関が原を学ぶ子供達がかつてここにいた。すばらしい教材だ。
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ここが不破の関。日本の歴史上重要なポイント。すべては回れないので、ここぞという場所のみ見学。
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民家の軒下を通って、庭を通って畑のまんなかにこんなものが!
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大海人皇子が兜を置いた石。本当か?
太古から受け継がれてきた伝承。たぶん本当なんだろう。びっくりするぐらいひっそりと畑の真ん中にある。
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さらに衝撃!畑の真ん中に大海人皇子の沓脱石。立て札があるだけで本当にひっそりそこにある。物がモノだけに代々と守り続けられてきたもの。

ここで関が原見学を終了~

その後、岐阜羽島駅から新幹線で帰宅。指定席がどの便も満席なのでグリーン車にしてしまった…orz  しかも名古屋までのこだまは自由席がガラガラだった。東京までそのままこだまだったら座って帰れたのに。

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