2011年3月26日土曜日

CDでーた2007年4月号 YUIと近藤ひさし

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さて、YUI 24歳の生誕節だ。CAN'T BUY MY LOVEリリースから、ハタチになったYUIから4年経った。まさかYUIが24歳になるときがこようとは…。いや~、怖い。

昨日、池袋でこれを手に入れてきた。CDでーた2007年4月号を150円でゲット。これ買ってなかったんだ・・・。くだらない用事のために池袋まで来たけど、これに出会えてよかった。

とても重要なことを語っている読み応えのあるインタビューを収録。二十歳になって、それまでの自分を振り返る内容のロングインタビュー。インタビュアーは永堀アツオ。以下抜粋

今回、ニューアルバムー『CAN'T BUY MY LOVE』に、「Thank you My teens」という曲が収録されているじゃないですか。そこで、3月で20歳になるYUIさんの10代を振り返ってもらいたいなと思うんですが。
「10代はすごく大変でしたよ。感情がごちゃごちゃで、自分の中の2つの感情がつねにぶつかり合って、勝手に暴れるんで、やたら疲れるんですよ。音楽と出会う前は、目の前が真っ暗っていう状況でしたね」 
福岡のストリートで弾き語りを始めたのが15歳くらいのころですよね。
「とりあえず、歌うのが楽しかったですね。あとは、ビアンコネロのライブやインストアについて回って、物販やちらし配りのお手伝いをしたリ、前座で歌わせてもらったりしてて。それが16歳になったばかりのころかな」
その後、オーディションに合格して、すぐにデビューの準備に入りますよね。
「17歳でデビューして、1stアルバム『FROM ME TO YOU』までは、手探りというか、葛藤と試行錯誤と模索の1年でした。ずーっと、何がなんだかわからないっていう状態。曲をつくって、テレビやラジオや雑誌の取材を受けることを必死に覚えてた時代ですね」 
いちぱん印象深い出釆事はなんですか?
「夏の終わりに、レコーディングが終わって外に出ると、夜の空気が涼しかったりするじゃないですか。夏の夜の家への帰り道は懐かしく思いますね。でも、当時は難しいことばっかりで、何かしらずっと考えてる状態だったし、外に出るのも怖かったんですよね(笑)」
東京の街が怖かった?
「場所もぜんぜん知らないし、知り合いも少ないし、どれくらい危ないかも知らないし。気分転換もできないまま、スタジオと家の往復だけを繰り返してて。しかも、何を求められているのか、どんな状況なのか、何がなんだかわからないから、人に対して警戒心旺盛で。デビュー前後の私を知っている人には、『人間にいじめられてきた猫みたいだったぞ』って言われました(笑)」
夢が実現したっていう喜びはなかった?
「デビュー当時に『夢ってなんですか?』って聞かれたテレビ番組があって。私は、ちょっとピリピリした雰囲気で『夢って辞書で引いたことありますか?かなわないとわかっていて思うことが夢なんですよ』って言ってて。今、振り返ると、すごいとんがってるな、攻撃的だなって思うんですけど、やっぱり、夢ではなかったんですよね。夢というよりは、自分は音楽で生きていくしかないなって、現実的に考えてたんです。道がいっぱいあって悩むんじゃなくて、私には本当に音楽しかなかった。だからこそ、強い気持ちでやってこれたんだな、とも思いますね」 
自分が歌いたい歌を好きな時に歌ってた音楽との関係は、プロのシンガーになったことで変わりました?
「福岡では、歌うのが楽しかったし、寂しさを紛らわしてくれる存在だったんですよ。私自身が音楽に救われたって感じているので、音楽を知ってるっていうか、すごく身近に思ってたんです。でも、今、音楽と自分がどんどん重なっていくうちに、あのころとはまた違った音楽の感じ方もたくさんできるようになったし、もっともっと音楽を知ってきてるんだなって気はしますね」 
違う感じ方ってなんですかね?
「楽しませたいっていう楽しさが増えたってことですかね,最初のころは楽しませようっていう考えがなかったから混乱してたけど、楽しんでもらえる喜びに気づいて、歌うことがまた楽しくなったんです」 
音楽が人とのコミュニケーションツールにもなっていったってことですかね?
「すごく臆病だから、まだこれからって感じですね,まだまだだけど、開いて楽しみたいって思うんですよね」 
では、大きく影響を受けた出会いって誰ですか?
「一番はやっぱりディレクターですね。何度も道を外れそうになって、止まりそうになって、逃げそうになりながらも必ず引き止めてくれて、私もあえて間違ってみることもあるんですけど、それでもずっと、ただそこにいて、いろいろ教えてくれて。すごく尊敬してますね」
歌いたくないなって思ったことがあるんですか?
「ありますよ。デビューしてすぐのころは、歌う意味がわからないから、空っぽの状態で歌ってる時もあって。そんな状態で歌ってることは、聴いてくれてる人に失礼だし、音楽に対しても失礼だし、自分自身にもすごく嫌気が差して。当時はこんな失礼な感情では歌えないって思っていたけど、自分が歌ってきた時の気持ちを思い出したり、みんながどういう状況で聴きに来てくれてるかっていうことを考えるようになって、歌うことがどんどん楽しくなっていたんですよね」 
2年目の映画の経験はどうでした?
「すごく大きいと思いますね。映画は音楽とはまた全然違う世界だったし、自分ではない〝雨音薫〟の人生を生きるために、自分をもたずに透明な状態で入っていったんですよ。映画では、体を使って表現することを知ったんですけど、自分を全部ボロボロに崩した後に、立て直していったのが、すごく大変で。今となっては、私のままで入っていって、いろいろ見て感じて、自分の中に経験を入れてこうって思うんですけど、そんな余裕は全然なかったんですよね」
周りが見えてきたのはいつごろですか?どこでも自分のままでいられる状態になったっていう。
「最近ですね。とにかく好奇心旺盛になってて、もっといろいろ知りたいし、いろんなことを経験すべきだし。ほかのアーティストさんのライブも行けるなら毎日行きたいし(笑)。今、ようやく、もともとの性質が出てきたなって思いますね」 
一番の大きな変化ってなんですかね?
「音楽を山に例えると、いろんな登り方があるんだなって知ったことですね。以前の私は、頂上までの道を1本しか知らなくて、やたら厳しい道を登ってた。だけど、今は緩やかな別の道があることも知ったし、登りながら景色を見て楽しむことも覚えた。景色を見る余裕ができると、今までより、もっと素直に感じていけるようになるなって思うんですよね」 
では、逆にずっと変わってないものはなんですか?
「なんだろう・・・やっぱり、歌うことによってもやもやが解決するってことかな。もやもやが違う方向にぷつかるんじゃなくて、音楽によって解消されるのはよかったなって。それが人に向かうと、もっともやもやするだろうし、周りの大切な人を失うことになると思う。だからこそ、私は音楽が必要だったのかなって思いますね」 
音楽に対する気持ちは変わってない?
「音楽に救われたっていう気持ちは変わってないですね。私は本当に音楽がないと生きていけなかっただろうし、それは今も、いい意味でも悪い意味でも、変わってない。あとは、普段から音楽のことばかり考えてて、いろんな曲を知りたいし、つくりたいし、いつの間にか口ずさむのは、やっはリ楽しかったりするし。音楽か好きだっていうシンプルな気持ちは変わってないし、それだけは、これからもずっと変わらないなって思いますね」

YUIはディレクター(近藤ひさし)を尊敬してるって!この二人の師弟関係はYUI-RADIO聴いているだけだとわからないけど、今までもきっと、二人しか知らない感動的なエピソードがあるんだろうな。

上京後1年の「FROM ME TO YOU」にいたるまでの時期がYUIにとって、とてもツラいものであったことがうかがい知れる証言だ。ほとんどどこへも出かけていなかったらしい。

「音楽と出会う前は、目の前が真っ暗」っていう表現は前から気になる部分だ。How crazyの「深い海に沈んでゆく船から逃げてきたの」という表現はこういうところから生まれたのかもしれない。

『夢って辞書で引いたことありますか?かなわないとわかっていて思うことか夢なんですよ』はMONかなにかの番組だったと思うけど、あのときのYUIはとても青白く表情が固く疲れている感じだった。アーティストとはこういうものか!と衝撃を受けた映像だった。精神状態がギリギリだったんだねえ・・・。辛かったねえ・・。

本年度のYUIに関する雑誌の発掘記事はこれで最後。4月にまた再開予定。

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