G.K.チェスタトン「ブラウン神父の純智」(1911)橋本福夫訳の昭和34年新潮文庫で読む。
これも無償でもらってきた本だが、昭和48年16刷というたいへんに古い本。紙が酸化していて活字が小さくて目がチカチカする。
- 青い十字架
- 密閉された庭
- 奇妙な足音
- 飛ぶ星
- 見えない人間
- イズラエル・ガウの厳正さ
- 間違った形
- サラディン公の罪
- 神様の鉄槌
- アポロンの眼
- 折れた剣の看板
- 三つの凶器
という12編を収録。
ひとつづつ感想を書くつもりだったのだが、そんな気は失せた。自分はこれがチェスタトン3作目だったのだが、やはりとても読みにくい。読み終わったばかりなのに、もうあまり思い出せないものもある。
ブラウン神父が最初に登場する第1作こそ、驚きと新鮮さがあった。だが、そんなことしたらSNSのある現代では迷惑聖職者!と炎上するに違いない。迷惑をこうむったカフェとか、時代ならではのおおらかさ。
あと、探偵だと思ってたやつが途中で死ぬのかよ!泥棒だったやつがブラウン神父の説法で改心して探偵になるのかよ!そこは予想外。
第5作は、教育格差のある当時はありえたかもだが、現代日本でこんな返答をするやつはなんの仕事もできない気がする。
第12作は現場を見ただけでおかしな点と真相を見抜いたブラウン神父探偵に感心はした。だが、精神病が遺伝するという古い時代の価値観と知識。シナ人の風貌に差別的。
これ、面白いか?やはりブラウン神父という変人小男神父のキャラで読ませるタイプの連作短篇。
英国なのに神父?って疑問に思ってたけど、ブラウン氏はローマカトリックの司祭なのか。
そんなエドワード7世治世下英国田舎カトリック神父、時代的な英国文学、さらに橋本福夫の古い訳という三重苦。ブラウン神父のシリーズは道理で日本ではあまり読まれてないわけだ。今後の日本人に読まれ続けるのは難しい気がした。
巻末で訳者の橋本福夫氏が「Innocence」を何と訳すかの段階で悩んだことが語られる。自分なら、今なら、あえて「イノセンス和尚」という邦訳をつけるかもしれないw
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