開高健「輝ける闇」(1968)を新潮文庫(1996年18刷)で読む。
開高健のベトナム戦争従軍ルポ的な書き下ろし長編かな…と想像してたのだが、あまりそんな感じは受けなかった。かなり自由に、当時の南ベトナムの人々の雰囲気を伝えている長編小説。ときに散文詩ぽく。短編小説ぽく。
読み進めるにつれ、これは創作された小説だなと気づいた。アオザイ娘との官能小説のごとく卑猥な性交シーンとか、インテリ老人との長い会話とか。
南ベトナムは腐敗が進んだ三流ダメ国家の典型。上流階級の子弟は徴兵を逃れるため海外へ。革命は農民を救わない。アカを防ぐために戦うことでベトナム人たちをさらに苦境に追い込む。小屋には老婆と少女。若い男がいない。
徴兵の紙が来た青年は自ら指を切り落とす。日本は徴兵がなくて戦争がなくてよかった。今後どうなるかわからないけど。
基地から外に出て買い物してくるだけでカービン銃が必要。ベトコンはどこにでもいる。てか国軍兵士も金に困るとアメリカ軍の武器弾薬をベトコンに売る。ダメだこりゃ。
この時代の日本人の10人中7人はアメリカのやり方に批判的?もう今の日本人はベトナム戦争当時のことを思い出せない。遠い過去になってる。
主人公はベトナム語はわからない。アメリカの軍人、ベトナムの兵士、僧侶らとは英語、仏語、筆談でなんとか意思疎通。
そんな戦乱のインドシナの銃後を描く一方、サイゴンの性風俗店体験レポみたいな内容があったりして戸惑う。なんだよ「舐め屋」って。でもそれも戦争か。
暑熱のひどいベトナムで主人公はマーク・トウェインを読んでいるのだが、アメリカ人がアーサー王の世界に転生してアメリカの民主主義と科学と文明を教える…みたいな話を南ベトナムと対比してる箇所がある。そんな小説が本当に存在するのか?と思って調べたら本当にあるらしい。
毛沢東やスターリン、ガンジー、ネルーよりもホー・チ・ミンが日本で語られることは少ないような気がする。この本を読むまでディエンビエンフー以後のハノイの共産主義者チュアン・チンによる土地改革と、ゲアンの農民蜂起、その後の人民軍が農民を粉砕といったトピックを自分は何も知らなかった。北も南も資格も知識も徳もない輩による暴政。
街中で少年2人(ベトコン?)の公開銃殺処刑のシーンの様子が克明に描かれていた。なんと恐ろしい。
戦争経験世代の性的猥談の下品さが酷い。
ジャングルでの壮絶な銃撃。そして潰走。表現が誌的。生まれる時代と場所を間違えた南ベトナムの兵士たちが憐れ。
0 件のコメント:
コメントを投稿