2023年5月23日火曜日

杉本苑子「玉川兄弟」(昭和50年)

杉本苑子「玉川兄弟 江戸上水ものがたり」(昭和50年)を1994年文春文庫(第1刷)で読む。584ページの大長編。昭和48年春から1年余り「赤旗」紙に連載されたもの。
(これは5年前にBOで108円で購入し積読しておいたもの。ようやく読む。杉本苑子の文庫本はいつも探してるけどあんまり見かけない。)
東京都民なら誰しもが知ってる偉人玉川兄弟(羽村堰には銅像がある)についての歴史小説。

4代将軍家綱の時代。家康の江戸入府から60年、人口の増えた江戸は水不足。もともと低地で井戸を掘っても水が塩辛い。良い水を得るには付け届けが必要だったり人々の間でトラブルと苦労が絶えない。神田、下谷、浅草、青山、牛込、四谷、麹町付近の町民は水に困ってた。そこで、多摩川から水を引く普請の計画。

武州羽村出身の庄右衛門は普請人足供給を請け負う枡屋の親方。まだ31歳。その7つ下の弟が清右衛門。人足たちを必要なときに集めるためには日ごろから面倒を見て侠気と温情が必要。
そんな枡屋に大きな儲けの機会。多摩川から四谷大木戸まで水路を引く。

これがもう現代日本の大型公共工事受注で巻き起こる事態とほとんど変わらない。ライバル土木業者も見積を出すため現地を視察。地元民たちは何かを感じ取り工事に必要な資材価格が高騰する。工事の予定地はどこか?地元民たちは利益にあやかろうと必死で探り合い。取水堰ができれば川での漁業にも影響。筏を流すのにも支障。

業者選定における幕閣たちの思惑。伊奈半十郎忠治は枡屋の欲のない誠意の見積もり額に注目し心配。何か災害があったり工期が伸びれば6000両で収まらないかもしれない。出費が増えるかもしれない責任を負わない老中たちに不満。
周辺地域の人々からの陳情。ライバル業者からの讒言悪口嫌がらせ。幼いこどもに危険な吹き矢。資材への付け火。
取水堰をどこに置くか?福生・熊川、青柳、日野、そして羽村。霜の害で人足が1日200文でも足りないと不平。ぜんぜん開削工事が始まらない。ああ、嫌だ。

伊奈半十郎さまが厳しく監視に来た嫌なお役人に違いないと庄右衛門は煙たく感じたのだが、じっくり話し合ってみると、それは清廉で志の高い立派な方。いろんな陳情に困り迷っていた心がスッと晴れた。今回は水に困った江戸の町民たちを助けることが第一。

で、工事が始まって見ると初日から怪我人と死者。そして大雨。仮水門工事で決壊目前。兄と弟で工事の進め方に関して口論。工事はいきなり暗礁に。
駆り出された人足たちはみんな土木工事素人。なかなか仕事がはかどらない。でもまあそれは予想できたことだな。

刃傷沙汰も発生。そこは半十郎さまが収めてくれたのだが、掘割の掘削はついに断層へ行き着く。水が地の底へ吸い込まれていって水が流れて行かない。これは堀筋を変えるしかない。(古代ローマみたいにコンクリート水道橋をつくる技術があれば…)
ということは、これまで掘ってきた費用(総費用見積もりの6分の1)という損害。

老中がたは追加の費用を出してくれるだろうか…。しかし半十郎の説明では、枡屋が諸人を救うために願い出たから公儀は許したということになっている。ビタ一文追加はない。だまし討ちのようなやり方に庄右衛門は呆然。まあ、それが江戸幕府だな。
さらに、プラン変更で利益にありつけず不平不満の地元住民からも妨害。公共事業と反対派住民みたいなものだな。

そして福生側からの開鑿も岩盤に行き着いて枡屋第2案も頓挫。
ここでまさかの半十郎自刃。(史実ではないらしい)絶望と嗚咽の庄右衛門。
だが、私利のために野比止へ用水を引こうと画策してると疑念を持っていた川越藩の松平伊豆守信綱への誤解が解けたことで、いっきに羽村案が実現。ここからは羽村案による測量図面を持つ安松金右衛門と協力。
工事費用が底をつく。しかし、多くの人々の協力で工事完了までこぎつける。

承応二年1653年4月4日から11月15日まで、わずか8か月余りの工事。羽村から四谷大木戸まで十里三十一町四十六間(約43キロ)の素掘りの上水路。設計通りに水が流れてきたのを見たとき、たぶん多くの人々が感動したに違いない。

掘削当時の技術資料が少なく、杉本苑子せんせいは苦労したらしい。なので多くが創作。
清右衛門には波之介という美少年の恋人がいるのか?!それは江戸時代の常識なのか。

吉村昭みたいな硬派な歴史小説とはだいぶ雰囲気が違う。娯楽時代小説の雰囲気もある。
幕府の命令は絶対だと思ってた。逆らったり文句言ったりしたら殺されると思ってた。意外に地元住民は不満を自由に表明するし反抗的。

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