2023年2月16日木曜日

吉村昭「アメリカ彦蔵」(1999)

吉村昭「アメリカ彦蔵」(1999)を読む。平成11年に読売新聞社から刊行されたものを平成13年新潮文庫版で読む。吉村昭も著作が多くて、どんどん読まないと読み切れない。

主人公の浜田彦蔵(1837-1897)は幕末の船乗りで漂流民。アメリカ船に拾われやむなく渡米。後に通訳として帰国した人物。なぜかジョン万次郎ほどには有名になっていない。この本もあまり名前があがることがない。なぜだ?

天保八年八月、瀬戸内海播磨灘に面した播磨国加古郡彦太郎は13歳で突然母を亡くす。父親は幼いころに死去。
母は再婚してたので義理の父と船に乗る。母からは船乗りになることを禁じられていたけど生きて行くために炊として雇われるしか選択肢はない。初めて荷を運ぶ帆船「住吉丸」に乗る。壮年の船乗りばかりで13歳の少年に対しみんな優しい。
熊野の港で同じ村出身の船頭に誘われて江戸へ向かう新造船の永力丸に乗り込んでしまう。初めて見る富士。そして10月に品川沖。江戸で浅草や亀戸に参拝。

大阪兵庫に向かうのだが、伊勢に寄らずそのまま遠州灘を渡って潮岬を回って熊野灘で天候が急変。帆柱を切る事態に陥り、彦太郎と船頭たち17名はそのまま漂流。ああ、あの時船を移らなければ。

島を発見するも上陸するかためらう。人食い土人とかいたらどうしよう?また漂流。荷を積んでいるので食料はあるが、もう永力丸が壊れそう。
11月、そして12月と洋上。3本の帆柱の船が通りかかったので救助を求めた。風向きと逆なのに見事な技術で近づいてきて乗り移る。
どうやらアメリカ船なのだが、日本人船乗りはその異国人たちのことがわからない。イェドという言葉は江戸だろうとわかるのだが、ジャパンという言葉の意味がわからない。

12人乗りの船に17人加わったので水と食料を節約しないといけないことがわかる。やっぱり彦太郎はこどもなのでアメリカ人船員たちからも可愛がられる。バターを塗ったパンを食べろと渡されるのだが臭いが受け付けない。食べたふりしてこっそり棄てる。
ブタを屠畜してる様子を見てビビる。容赦なく残忍に生き物を殺す異国人に恐怖。自分たちもいずれ殺されて食べられてしまうのでは?!
嵐が来てるのに本を読んでたりしてる船員の態度と船の構造に驚愕。

嘉永四年(1851)2月にサンフランシスコ上陸。身分の高そうな紳士が彦太郎に靴を買ってくれる。街は石づくりの2階建て3階建ての建物。黒人を見て驚く。
日本人がいる!?と驚いてよく見たら、数人が同時に映る大きな鏡だった。そんな鏡を見るのも初めて。カジノみたいな場所で見世物にされて銀貨などをもらう。なぜみんな親切なんだろう?何が目的なんだろう?
壮年男子たちが何もしないわけにいかないので船の掃除や荷運びを手伝う。

いつのまにか彦太郎は彦蔵と呼ばれるようになる。トマスという若い船員と仲良しになる。いつか日本に行ってみたい!と日本語を覚えようとする。相互に語学を学ぶ。
そして軍艦セント・メリー号で清国の香港マカオへ行くことになる。途中寄稿したハワイで最年長の船頭万蔵が亡くなる。

香港サスケハナ号に身柄を引き渡されるのだが、この船は日ごろ清国人と接してるから東洋人に侮蔑的で荒々しい。食事も粗末で憤る。でも、ペリー艦隊が来れば合流して日本に帰れる!と耐え忍ぶ。

しかし、現地で出会った日本人に無理だと諭される。この男は彦蔵たち以上に悲惨な目に遭い仲間たちも死に、モリソン号でやっと帰れるかと思いきや、異国船打ち払い令によって大砲を撃ち込まれる。もう帰国は断念し現地でアメリカ人と結婚。彦蔵たちは絶望。
広東から南京へ行って清国の貿易船に乗って長崎へ行くルートを目指した者たちは途中の陸路で追いはぎ強盗に遭いボロボロになって戻ってきた。治安悪すぎ。

なかなかやって来ないペリー艦隊に業を煮やしたトマスは日本行を諦め、彦蔵をゴールドラッシュのカリフォルニアに誘う。このトマスくんが先見の明がある。2,3年後には必ず日本は開国して帰れるようになる!アメリカで西洋知識を身に着け日本の役に立つことを考えよう!結局、彦蔵は若い日本人水主2人と行動を共にする。

残りの人々はどうなったか?ひたすら淡々と記録が続く。吉村昭は残された記録を調べ歩いたに違いない。この辺は文学作品ではなくノンフィクションといった感じ。

上海で成功していた乙吉夫妻らの親切と粘り強い交渉でサスケハナを降りた人々は、やはり漂流して現地にいた薩摩藩士らと合流し清国の船で長崎へ。途中で逃亡行方不明者と死者を出しながらも9名が故郷に帰国。
間に入ったお役人たちに一人も狂ったやつがいなくてよかった。ちゃんと人間として同情する心があってよかった。吉村昭の他の著作「漂流」「大黒屋光太夫」の悲惨さにくらべるとかなりマシ。

ペリー艦隊はどうしても日本人漂流民を1人でも日本に届けたかった。仙太郎という人物ただ一人が選ばれた。22歳と一番若かったから。1人になってしまったせいで落ち込みが酷い。日本の役人に引き渡されることを極度に恐れ再びアメリカへ。結果、帰国が遅れた。

彦蔵らはサンフランシスコで職を世話してもらう。アメリカ人たちがみんな博愛と正義の心。漂流民の悲しい身の上に同情して親切。コックとしてタダ働きさせられてると知るや船長に抗議したりしてくれる。

やがてサンフランシスコ税関長のサンダースさんの世話になる。彦蔵だけが。なぜだ?最年少でかわいらしかった?
やがてニューヨーク、ボルティモアに連れていかれる。蒸気車や電信にビビる。(船で行ったのか?パナマ運河はまだなかったはず。どうやらパナマ地峡を蒸気車で横断したらしい。)

サンダースさんは彦蔵を大統領に会わせるというのだが、首長?将軍?会えるわけないやん?門番も従者もいないし、つつましい生活をしててあまり威厳のないこの人がアメリカの首長?嘘やん…と信じないw 彦蔵は第14代アメリカ大統領ピアースと面会してたって初めて知った。
彦蔵はサンダース家がカトリックだったので洗礼を受ける。

彦蔵らは勇之助という新潟からの漂流民とも面会。この人は12人漂流して唯一生存。後にレディ・ピアス号により下田で引き渡し。彦蔵たちも帰れる希望が出てきた。

カリフォルニアが大不況になりサンダース家の銀行も閉鎖で学費が払えなくなる。彦蔵は貿易会社で働く。サンダース氏は彦蔵を教育する機会を失ったことを嘆く。

1857年になって事態が変わる。国務省書記として勤めないか?という誘い。ワシントンに行きブキャナン大統領と握手。だが、その件は空約束だった。影響力を持たない議員の誘いに乗ってしまって後悔。ボルチモアのサンダース氏を訪ねるもボルチモアも大不況。
だが彦蔵は運がいい。以前勤めていた会社の経営者ケアリーさんが彦蔵がお金に困っていないか心配の手紙。
さらに清国と日本の沿岸調査のために軍艦に乗って日本に帰れるかもしれない。しかし彦蔵はキリスト教の洗礼を受けてしまったことで捕えられるかもしれない。ならばアメリカ国籍を取ろう。いろいろテンポが速い。

そして子どものころからずっと面倒を見てくれた老父サンダース氏との今生の別れ。彦蔵は船内で手紙を読み涙。
彦蔵はその後何人もの漂流日本人と出会い話を聴く。誰もがアメリカ人の服装をした日本人にビビる。漂流民が日本に帰れるようにするとなだめる。これまでに出会った船乗り仲間たちとも再開。
香港で別れた岩吉と再会。岩吉も貿易業で日本通詞となっていた。オールコック公使に付き従って日本に帰れるらしい。

彦蔵は外交官ハリスと会う。通訳として雇われる。そして長崎を経て横浜へ。安政六年(1859)6月、9年ぶりに日本の土を踏む。到着してひと月で義兄と感動の再会。義理の父は3年前に亡くなっていた。

居留地を設置する場所の件でドール領事とハリス、外国奉行兼神奈川奉行堀織部正とさっそく外交交渉。彦蔵は初めて幕府高官の堀奉行と相対する緊張。
筋道の通った主張を臆することなくする堀に感心と尊敬。条約の文言にこだわるドールとハリスに滑稽を感じる。実利を重んじる商人たちは横浜に商館を設置し始める。
ロシア人水兵殺傷事件ではロシア艦隊ポポフ総督の通訳も担当し水野忠徳、酒井忠行とも対面。日本語を聴いて話せる彦蔵は貴重な人材。

しかし、英国公使の通訳岩吉(伝吉と改名)が浪人に殺害。警備が厳重な大老井伊直弼も殺された。治安悪すぎ。外国人居留地は恐怖。
さらにヒュースケン殺害、そして東禅寺事件。今いちばん命を狙われているのは、日本人でありながら外国人の姿をしている彦蔵だ…。
彦蔵はアメリカに戻ることを決意。いつのまにか時代は安政から万延を経て文久へ。

サンフランシスコの有力者たちの署名を携えてワシントンへ。サンダースさんと感動の再会。
彦蔵は倉庫管理官の官職を得るためのアメリカ帰国だったのだが東部は南北戦争の戦時下。海軍には新たに任官の余裕はない。国務省が神奈川総領事通訳官にしてくれる約束はしてくれた。だが、彦蔵はなぜか憲兵隊に連れていかれる。何が起こってる?アメリカ人に以前のような大らかさと優しさが感じられない。

南軍の密偵に間違われただけだった彦蔵はなんなく釈放。知己が多いとこういうとき安心。日本に帰国する彦蔵はなんとリンカーン大統領と面会。
サンダースさんと今度こそ最後の別れ。しかし、戦時下で貿易をしてる余裕のないアメリカから日本への便がない。

なんとか日本に帰国するも日本の治安はますます悪化。攘夷派の浪人たちは外国と貿易する商人を天誅だと襲撃し首をさらす。長州を攻撃した軍艦に乗っていた彦蔵も長州の最重要ターゲットになってる。新任の領事と公使とも気が合わないしで辞表を提出。

彦蔵は南北戦争で価格が高騰していた綿花取引を開始。時代は元治になっていた。
彦蔵の元に商人や藩士が話を聴きにやってくる。海外の新聞記事を話して聴かせる。そして日本にも新聞が必要だと感じる。彦蔵は寺子屋で習っただけで漢字が読めないし書けなかった。居留地の眼科医ヘボンのところに出入りする岸田吟香に注目。
そして禁門の変と長州征伐、4か国連合軍による下関戦争。時代は慶応。リンカーンは暗殺され南軍は降伏し南北戦争が終了。

横浜居留地が大火。彦蔵は長崎のフレイザー氏の商社を任される。
グラバー商会と佐賀藩の高島炭鉱共同経営案もまとめる。このころ幕府から武器取引を禁じられている長州藩士が薩摩藩士を装ってやってくる。木戸、伊藤、井上、さらにアーネスト・サトウの訪問。鳥羽伏見の戦いで幕府軍が敗北。時代は一気に動き出した。

兵庫県知事となっていた伊藤博文の計らいで外国人ジョゼフ・ヒコ(彦蔵)は懐かしい故郷を訪問。自分が思っていたよりはるかにみすぼらしくてショック。義理の父の墓に自分の戒名を発見。
そして母の墓を建立。神戸の姫路藩邸で藩主酒井忠邦に招かれる。そして姫路訪問。船乗りの子でしかなかった自分が元藩士たちの上座に座らされている…。

故郷には3回行ったきりもう行かなかった。村人にとって彦蔵は赤の他人で心に厚い壁がある。
井上卿に誘われて大蔵省に勤めたけど、もう明治6年になると流暢な英語を話す官吏が少なくない。それに彦蔵は漢文の公文書を書けない。
気付いたら自分はアメリカ彦蔵と呼ばれてるらしい。40歳で松本鋹子18歳と結婚。絶えていた親類の浜田家を相続して浜田彦蔵を名乗る。
退職して新聞記者として台湾に従軍。それも止めて茶の輸出業。しかし詐欺に遭ってもう商売も止めよう。お金は十分ある。

隅田川を眺めて自分の人生を振り返る。自分は英語が話せたから日本とアメリカ両者の間で利用されただけで結局ずっと漂流民だったな…。
明治30年、61歳で死去。青山の外国人墓地に埋葬。新聞の訃報欄には「アメリカ彦蔵死す。日本で新聞の創設者」。

もうとにかく読んでいて吉村昭の文体が淡々と事実を列挙し、最小限の会話と心の声でつないでる。波乱万丈な人の人生は読者もずっと旅してる感覚。歴史の時空を超える。
読んでいて彦蔵の人生にまったく女性が登場しなくて疑問だった。司馬遼太郎なら芸者とのラブロマンスを面白おかしく盛る。

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