2021年11月7日日曜日

吉村昭「高熱隧道」(昭和42年)

吉村昭「高熱隧道」(昭和42年)を読む。平成26年第59刷新潮文庫版で読む。昭和11年8月より着工した黒部第三発電所のための隧道掘削工事を記録した文学作品。

富山県宇奈月から黒部川をさかのぼった場所にトロッコ軌道を敷設しダムを作り、さらに上流まで隧道を掘る。これが猿もカモシカも寄せ付けない断崖の秘境。大正時代に最初の調査に入ったときから似担ぎ人夫が転落死亡事故を起こしていた。

トロッコの暴走横転で大腿骨骨折した抗夫をそのままにすると、他の抗夫たちの心理に影響する。なのでなんとしても街まで降ろさないといけないのだが、とても担架で運べる場所でもない。さらなる転落事故、落石事故。大卒の技術者も死ぬ。生活のかかった人足は高い日当のために荷を担ぐ。

こんな状況でも日本は現場がプライドをかけて「何が何でもやる!」となってしまう。現代人から見るとほぼ犯罪。こいつら、何も尊敬できない。美談でもなんでもない。

高まる電力需要に応えるために発電所が必要になる。北支事変が全面戦争へ移行する軍国主義の時代。熟練した抗夫にも召集令状がくる。

電力会社も隧道工事を請け負った現場責任者も、抗夫たちの過酷な現場を世間に知られたくない。物見遊山でやってきた7名の若手将校がダム湖で転覆遭難事故を起こして全員亡くなったとき、現場責任者たちはラッキーに感じてしまう。

隧道を掘り進んで30m。岩盤が異常に高温になっていく。事前の調査では温泉の鉱脈に行き当たるとは計算してなかった。作業現場が40℃を超えると抗夫たちが参ってしまう。30分ももたない。作業効率が低下。
蒸気で火ぶくれ、皮膚の変色、火傷を負う者も出てくる。健康を害して死んでいく。
谷川の水をくみ上げて作業中の抗夫の背中にホースで水をかけることでなんとか作業を継続。さらに換気用の竪坑を掘って温度を下げる。

地質学者の偉い先生を呼びつけて再調査してもらう。最高で95度にはなるが、それ以後は下がると予想。それを信じて掘り続けるのだが107度になる。あちゃー、これはもうダメだろ。

ダイナマイトだって40℃以上の現場では使用できない。もう警察に中止させられかねない。
そしてダイナマイトの自然発火で8人即死の事故。遺体は肉塊となって四散。周囲はピンク色に染まる。それでも工事続行。結果、最高で165度を記録。

今度は冬季に泡雪崩という爆風を伴う急斜面を下る雪崩がコンクリート製宿舎を山の向こうまで吹き飛ばす。宿舎にいた85人全員が死亡。遺体収容も雪解けを待たないといけない。
宇奈月の集落には黒部峡谷から降ろされた遺体とその遺族であふれる。死亡事故、遭難事故のたびに捜索隊を編成する麓の宇奈月からしたらたまったもんじゃない。

「もう死人をだすのはよせ!」富山県庁も県警も強い圧で工事中止を勧告。
だが、天皇陛下から遺族全員に金一封が下賜されると空気が変わる。これは工事に誰も反対できない…。

日本電力の若い社員は「なぜあいつらはこんな危険から逃げ出そうとしないのか?」とか言う。酷い。じゃあ人の手に頼らずお前らでやれ!
人夫は普通の仕事では家族を養えない。自らの命と引き換えに、割増された日当目当てで集まり無表情で作業に従う。技師は死なないが人夫は死ぬ。人の命が軽い。今ではこんな労務管理は許されない。

この本の主人公で工事監督する技師の藤平が酷い。まるで帝国陸軍の将校。人夫の命よりも会社の存続が重大事。工事が中止になれば電力会社も工事を請け負った会社も潰れて路頭に迷う。ダイナマイトの自然発火を恐れる人夫を先端怒鳴りつけて工事続行。ズリの中にあったダイナマイトの残りが爆発してさらに被害。次々と発生する死者たち。
責任を感じて精神を病み山へと消えた大卒の若い技師も「どうせ死んでる」と捜索もせずに失踪者として処理。連れ戻そうと泣いて追いかけた同僚に鉄拳制裁。

工事の進展が遅いと、今度は先に到達した組に懸賞金。人夫は目の色変えて必死。勝負の結果が早く分かってしまうと士気が下がるので、ぎりぎりまで結果は教えない。そんなことより安全が最優先だろ。

今度は慎重に雪崩被害の起こらなそうな場所に宿舎を建てるも、やっぱり雪崩による火災で27名死亡。後日雪の中から発見された遺体。事務手続きが煩雑だからとそっと遠くに埋め戻す。こいつら、やってることが極悪。

結果、昭和15年11月の完工までに犠牲者300人超え。戦前戦中とはいえ、難工事に犠牲者はつきものと意に介さない感じが酷い。この工事関係者は戦後どうなった?訴えていい。
日本の近代化と難工事にはこんな歴史がある。どこにも慰霊碑がある。金で人夫に危険を強要したやつらは地獄に落ちてるはず。

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