吉野裕子「蛇 日本の蛇信仰」を読む。1979年に法政大学出版より刊行された本をベースにした1999年講談社学術文庫版で読む。
吉野裕子(1916-2008)という民俗学者の著書を読むのは初めて。この人はたいへんにユニークな経歴をもってる。気になった人は調べてみてほしい。自分、今まで「よしのゆうこ」と呼んでいたのだが「よしのひろこ」と呼ぶのが正しいことを今回初めて知った。恥をかく前に知れてよかった。
自分、今までまったく蛇信仰というものを意識したことがなかった。蛇はその形態と動きと能力によって、世界中で古代の人々から霊力を持つものとされ「神」を見出されていた。中国、台湾、古代マヤ、そして縄文時代の日本、諏訪神社。
この本では著者の様々な推論や考察が書き連ねられている。
棒状の形態が「男根」であり、トグロを巻いた姿は陰門である。怪しく光る美しい鱗、光る眼、蛇行させて前進し、田の獣害である鼠を捕食する。自分よりも大きな動物や卵を飲み込み、毒によって相手を倒すそのパワー。蛇を神祖として崇めた。
トグロを巻く姿の神々しさが、円錐形の山に神の姿を見出した。通ってくる男が実は蛇だった…という神話が日本にもある。三輪山の大物主神のように。
ヤマタノオロチ伝説ってオリジナルは中国だったの?!晋(4世紀)の「捜神記」に、洞窟に住む生け贄を求める大蛇を退治する話があるらしい。それ、初めて知った。
蛇は古語で「カカ」「カガチ」「カガミ」。中国から伝わった鏡に「カガミ」という言葉をアテたのは鏡に蛇の目を見たから?!鏡餅も蛇がトグロを巻いた姿?!それ、びっくり。
注連縄ですらも交尾する蛇の姿?!自分はあれは田に豊穣をもたらす雨雲と雷だと思ってた。
蛇が脱皮して新たに生まれ変わる姿も人々を驚嘆させた。ミソギという発想は脱皮そのもの。正月に実家に帰省するのも疑似母胎である生家にこもるという蛇の脱皮「擬き」の発想?!
人々は蛇の姿を植物にも見出す。酸漿(ほおずき)は蛇の頭の形をしてることはイメージできたのだが、ビロウ(蒲葵、枇榔)という植物はまったくイメージできない。ググってみて、ああ、南国に生えてるアレか!と分かった。
縄文時代から現代。蛇信仰の名残がそれと知られず残ってるという驚異!
もう現代の子どもたちは蛇の抜け殻とか見たこともないに違いない。田んぼを歩いていてあぜ道にトグロを巻いたアオダイショウを見たことも無いに違いない。
山道を歩いていて大きな蛇が道を横切ってる姿を見た時、自分は思わず「おお、山の神のお出ましだ…」と思ったことがある。
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