2021年7月17日土曜日

三島由紀夫「沈める滝」(昭和30年)

三島由紀夫「沈める滝」(昭和30年)を新潮文庫版(平成9年43刷)で読む。中央公論に昭和29年12月から翌年3月まで全4回連載されたもの。

冒頭で作者が断ってるように、この小説の主人公城所昇には文学作品の主人公が備えているべきような要素がまったくない。エリート土木技師。
祖父から独占的に受け継いだ財産があり、働かなくても毎年300万円財産が増えていく。

恵まれた容姿と健康な体、立派な仕事、若さと自由、なにもかも持っている。仕事が終わると「着替え部屋」へ直行しおしゃれになって女を漁る。女たち即物的に愛する。なにも共感しようがない。

だが、人妻顕子だけはこれまでと違った。不感症だった。
この女としばらく会わないようにすることが人工の愛の想像?新潟福島国境の奥野川ダム建設を指揮するために山奥へ、自身の希望で赴任。雪に覆われると外界から隔絶される。
中盤は「南極料理人」のような、越冬隊の若者たちを描く。

この主人公の行動が一般庶民とはかけはなれている。相手の心理を読み、あえてその通りに行動する。周囲に恋愛してるように誤解させるように行動発言する。

春が近づくと山奥では雪崩が頻発する。雪崩を調査に出向くとそこに凍っていた小滝がよみがえっていた。昇はじっと滝を見る。
越冬が終わると顕子と旅館で逢瀬(不倫)。だが、あれ?接吻中にあらぬところを見つめたりしてた顕子が以前と違ってる。
顕子のつぶっていた目がかすかに見ひらくその眼差しが、昇を戦慄させた。その目は決して昇を見ず、彼女自身のなかに生れた歓びをしか見ていなかった。その眼尻の繊細な溝をつたわる涙を昇は飲んだ。顕子は昇の名を呼んだが、こんな深い呼声は、昇の手のとどかない遠方から、呼びかけてくるとしか思われなかった。
感動しない顕子を愛してた昇は顕子を好きでなくなってるw 顕子を変えた誰か他の男が存在するのでは?

会社の金を横領してる同僚瀬山(元書生)は越冬中に登に殴られた仕返し(?)に、顕子の良人を呼び寄せて昇の宿舎を訪問させる。昇は顕子の良人である菊池と面会。菊池は顕子を変えたのは昇だと思ってる。なにもかもわかったようにふるまう。「青年というものは決して残酷になどなることはできません」

瀬山はわけのわからない画策をする。昇がかつて言ったことを伝える。「顕子は感動しないから好きなんだ」
その言葉を伝え聴いた顕子は、越冬中に見て顕子を案内した滝で自殺。

アメリカへのダム視察を済ませるとすっかり偉い人(株主でもある)の昇は、かつての女たちをダム見学させている。何事もなかったかのように。
「丁度俺の立ってるこの下のところに小さな滝があったんだ」「あなたもそろそろお嫁さんをお迎えにならなくちゃいけませんね」でこの長編小説は終わる。

え、何が言いたかったのか?社会というものはこういう人と最低限しか接しない人間が、最高の線で社会とつながってしまう…という、ある意味で三島本人だし…という小説。
ダム、労働、雪山、男女、一種の貴種流離譚、これは読んでいてわかりやすいようで、結局かなり難解だった印象。
それなりに関心はしたが、誰にも共感できない。熱心な三島の読者にしかオススメしない。

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