2020年1月31日金曜日

弓削田醤油さんの醤油蔵を見学

友人の家の醤油が切れたので買いに出かけた。通常なら旅行先でいい感じの醤油を見つけて買うのだが、最近はぜんぜん遠出しない。しかたない。わりと近場だが埼玉県日高市にある弓削田醤油さんの醤油蔵見学施設「醤油王国」まで出かけて来た。
我々は4年前に千葉県野田市のキッコーマン工場を見学してきた。あのときは最新設備の大工場だったのだが、弓削田さんはだいぶ小規模。杉桶をつかったもろみ熟成蔵も見学。ここは空調などつかっていない木造の蔵。冬は寒く夏は暑い。醤油の匂いがぷんぷんする。
この50石熟成桶は昭和7年からずっと使ってる。それはすごい。
つくね丼、しょうゆソフトクリームなどを食べ、直売所で普段使いの醤油を買って帰った。
頭の中ではなわの埼玉県のうたが流れていた。そこにあった太平洋セメントの工場がいい感じに湯気を噴き上げていた。
帰る途中にカーナビに気になる地名を見つけたので行って見ることにした。その名は女影(おなかげ)
なんとなく感じ取っていたのだが、この道は中世からある鎌倉街道。おそらく、女影は武蔵七党を支えた一士族。「吾妻鏡」の承久の乱の項に「女影太郎、四郎」の名前が残されているそうだ。

そして、この場所が信濃で挙兵した北条高時の遺児・時行の軍勢(旧鎌倉幕府軍)と、足利尊氏の弟・義直の軍が戦った古戦場跡地・女影ヶ原古戦場跡
その古戦場跡地にある女影ヶ原一之宮が霞野神社。周囲は宅地化しているがなにやら歴史の雰囲気を感じる場所だ。そこにあった教育委員会の立て札を読んでみる。
女影ヶ原古戦場跡 埼玉県指定文化財 旧跡 昭和36年9月1日指定
建武2年(1335年)に、滅亡した鎌倉幕府最後の執権北条高時の遺児時行が、鎌倉幕府復興のために信濃で挙兵しました。時行の軍は女影ヶ原で 足利尊氏の弟直義が派遣した軍勢を破りました。その後も小手指ヶ原(所沢市)、分倍河原(府中市)でも破りました。ついには直義自ら出陣して、武蔵井出ノ沢(町田市)で迎え撃ちましたが、ここでも敗れました。時行は鎌倉を一時的に支配しました。この一連の戦を中先代の乱といいます。
おお、中先代の乱って自分はぜんぜん知らなかったw 旧幕軍(鎌倉幕府)と建武の新政軍が戦った場所がまさにここ。この地で足利家臣の武将・渋川義季が戦死している。

女影の交差点に小さな時計台が立っていた。そのあたりは以前に土塁が出土したらしい。このなにげない場所にそんな歴史があったとは。
で、この霞野神社が自分にとって今年の初詣だった。

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