新田次郎「怒る富士」を2007年文春文庫版上下巻で読む。
東京に住んでいると宝永噴火という言葉をよく目にする。なにも知識がないので以前からこの本が気になっていた。
気象の専門家として富士山レーダーに勤務していた新田次郎ならではの視点で、関東郡代伊奈半左衛門忠順を主人公に宝永噴火を史実とフィクションを交えて描く時代小説。
宝永四年(1707年)11月23日(今の暦で12月16日)午前10時ごろ、地震や地鳴りという前兆の後に噴火。その日、江戸の青空も急に暗くなり灰が降り始めた。
以後16日間にわたって噴火を続け、その間ずっと西風。噴煙は東へと流れた。
須走では全家屋が焼失、富士山から小田原、富士山から相模原にかけての扇状に鶏卵大の軽石と砂と灰が降り注ぐ。最大で1m以上降り積もる。これではもう農業は不可能。
当時は将軍綱吉と柳沢吉保の時代。小田原大久保藩主大久保忠増が老中。隣の駿府は代官と城代と奉行所の三重支配状態。幕閣とお役人のメンツと政争。
被災状況の把握は現代においても困難なので江戸時代のほうがはるかに酷いことは予想できる。
まして災害復興という考え方もない。ダメだこりゃとなったら領地を幕府に返上するしかない。小石と砂に埋まった農地を回復するのは費用の面でもムリ。「亡所」として見捨てられた領民は保護の対象から外される棄民。もう自由にどこへでもどうぞ。酷い。
新田次郎は資料から農民の窮状を描く。現代においても自然災害からの復興には数年かかる。まして生きることがやっとの江戸時代。
人権がまったくなかった農民と、自分の事しか考えてないお役人の間に立つのが代官伊奈忠順。他の役人たちが「どうしようもない」「しょうがない」と何もしないのだが、この人が真面目なもんだから、やたら頑張る。
読む前から予想できたのだが、日本のお役人は江戸の昔から陰険。とにかくイライラする話。
酒匂川氾濫を防ぐために川に溜まった砂を浚って土手に盛る普請工事に地元の業者を使おうとするのだが、悪い役人が江戸のお屋敷普請業者を送り込んでくるとか、飢餓に瀕した領民を救うために米を借りようと頼むも断られたり、藤堂家の家来と斬り合いのケンカしたり、読んでいて嫌なことばかり。
昔も今もお役人は難しいこと言ってごまかしたり言い訳したり役に立たない。民の味方でありえない。
時代は綱吉(柳沢吉保)から家宣(間部詮房)の時代へ。幕府に米とカネを出すように必死の説得。詮房のバックには新井白石がいる。
伊奈は吉保のブレーン荻生徂徠のコネで白石と会見。領民が生きていくのには足りないが、幕府はまだ見捨ててないとギリギリ希望を繋げる金額を出させるのに成功。
だが、新井白石が意外に嫌なやつ。徂徠「儒家はみんなひねくれもの」w 数少ない味方だった老中も政界引退。
難民となって駿府で働き口を見つけた庄屋の娘が茶屋で働きだして、奉行所のお役人に手籠めにされそうになるなど、時代小説的要素を挟んでくる。村の若い男女のラブストーリーも盛ってくる娯楽作? 長い。
出世争いと誣告と讒言、嫌がらせ。お役人たちの足の引っ張り合いと駆け引き。読む前から予想はついたけど、読んでいて何も楽しくない話。ひたすら酷い話。役人たちは昔も今も心根が腐ってる。
領民が今日明日に死んでいく状況に焦る伊奈半左衛門は、機構の不備を突く形で、幕府の米を駿東の民の元へと輸送。これによって大問題へ。関わった人すべてが大目付に取り調べられる。
ただし、これは新田次郎氏による想像を交えた時代小説。記録がない部分は空想で補完。なので史実として読んではいけない。
富士が火を噴いた。ただそれだけで多くの人々が路頭に迷い不幸になった。運命に抗おうとしたものの結局みんな死んでしまう…。これもやっぱり胸糞悪い鬱時代小説だった。
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