2019年2月23日土曜日

横溝正史「悪魔の百唇譜」(昭和37年)

「悪魔の百唇譜」の昭和51年角川文庫版(昭和61年第25刷)を100円で見つけた。
これ、今まで何回か見かけたけど、汚かったりして見送ってた。やっとキレイなものに出会えたので購入。

昭和35年6月22日未明の世田谷区成城をパトロールする巡査のシーンから始まる。このパターンは「支那扇の女」と同じ。
路上に乗り捨ててあった車のトランク部から女性の刺殺体が発見される。そこにナイフで刺した跡のあるトランプのクイーン。
被害者は華僑の貿易会社社長の内縁の妻。元ホステスだったらしい。

この社長が前日午後になって急きょ神戸へ出張していた。昭和35年当時は東京大阪は夜行列車だ。部下に大事な書類を忘れたから届けさせたり、これが準備されたアリバイ臭い。
しかも、この社長が嫉妬と猜疑心で妻を見ていた。部下にスパイもさせていた。(まるで細川忠興とガラシャみたいな関係)

金田一さんは旅行に行く途中、警察にひょいと顔を出す。等々力警部から強引に引き留められ捜査に加わる。現場の刑事は嫌な顔をする人もいるけど、この当時には金田一さんはわりと有名人。歓迎されもする。
金田一耕助は事件をかたづけたあと、いつもそうとうひどいメランコリーに取りつかれる。救いようのない孤独感につつまれてしまうのだ。それまで活発にはたらいていた脳細胞が休止すると同時に、その反動として倦怠感におそわれるのだろう。 
倦怠感だけならまだよかった。どうかすると自己嫌悪をおぼえるらしい。人の罪をあばくことをもって身のなりわいとしているじぶんというものに対して批判的になり、そこから自己嫌悪が生じるらしい。自己嫌悪が高じて人ぎらいとなり、救いのない孤独感から、はては逃避的となっていく。
という金田一さんのキャラ説明の箇所には惹かれた。

さらに、世田谷区弦巻でも路上に乗り捨てられていた乗用車トランク部から、今度は逞しい肉体を持った17歳の少年の刺殺体。こちらはトランプのジャックが。

この本を買った理由は表紙とタイトルになんとなく惹かれたからなのだが、「百唇譜」ってなんだ?本の真ん中あたりまで読み進めてやっとわかった。

この事件の前年に、落ち目の一発屋歌手が刺されて殺される事件が起こっていたのだが、この男、過去に関係を持った女性たちとの情交をスコアブックのように詳細に記録しファイリングしコレクションしていた男淫売(おとこじごく)だったのだ。
唇紋を取り、時には写真を撮り、それをネタに女性たちを脅し金を得ていた。

殺された内縁の妻はこれをネタに脅されていた?
そして二つ目の死体は、この男と男色の関係にあった少年か?

この時代の卑猥な隠語が読んでいてよくわからない。
この破廉恥きわまる男はなおそのうえに、女のオルガンの特徴から技巧の巧拙まで綿密詳細に記入していた。それはさすがものなれた係官でさえ、顔をあからめずにいられないほど、露骨でえげつない文章だったという。
なんだ?「女のオルガン」って?たぶん、昭和20年代30年代に壮年だった男性しかしらない言葉かもしれない。「GI刈り」というヘアスタイルも気になった。

昭和30年代の成城、弦巻、上馬といった場所の風景描写は興味深い。まだ畑と農家が点在していた。それに「踏切番」のいる有人踏切とか。

この作品は昭和37年「推理ストーリー」1月号に「百唇譜」として発表された短編を「悪魔の百唇譜」として長編単行本化したもの。
読んでいて刑事たちの相談会話が多く冗長だと思ってたら、やっぱりそうか。

正直言って、「悪魔の百唇譜」という作品はつまらなかった…と言わざるを得ない。
話はややこしいけど、真相にそれほど驚けない。
横溝正史としてはかなり社会派にブレた作風で困惑。たぶんこの作品を評価しているひとは少ない。短編で読んだ人はこの版を読む必要がない。

しかも、金田一さんは「犯人が社長じゃないとわかったらそれでいい」と真相を明かさずに手を引いてしまう。真相も真犯人もぼんやりとしか示されないという、ダメな意味でまさかのラスト。
自分はこの作品をオススメしない。もう代表作はほとんど読んでしまったという人が読むべき1冊。

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