吉村昭「破獄」(昭和58年)を読む。今回手に入れたのは昭和61年版新潮文庫の平成2年第12刷。
著者が元警察関係者から聴いた実在の人物をモデルに書き上げた1冊。
自分はこの本を「昭和の脱獄王」を扱った作品だと思っていた。行刑を扱った作品は読むのにメンタルの強さが必要になるのだが、脱獄という爽快感も味わえる作品だと多少は期待していた。
だが…そんなことはなかった。
ひたすら淡々と刑務所の内部を、昭和の世俗と戦争と、その後の占領時代の食糧難も絡めて多くのトピックを書き連ねる。
「赤い人」が明治北海道開拓時代の監獄を扱った作品だったのに対し、「破獄」はその後の時代。近代的刑務所の戦前戦中戦後、昭和行刑史ともいえる作品。
脱獄4回という伝説的な人物を扱っているのだが、その性格上、登場人物たちはすべてが仮名。
準強盗殺人で無期懲役判決を受けた佐久間(仮名)は青森、秋田、網走、札幌と、近代的刑務所の独居房から驚くべき方法で脱獄するのだが、あんまりその手口には焦点を当ててない。ひたすら事実ばかりで正直それほど面白くはない。
吉村昭は残された記録を調べて書くノンフィクション作家なので、看守の側から見た佐久間を描く。この佐久間という男が頭脳と体力と精神力がすごい。そのふてぶてしさはまるでモンスター。不気味に嘲笑う。
脱走事故を起こすと責任を問われる看守の心理を知り尽くし、看守を不安に陥れる。脅迫して有利な側に立つ。
誰も想像できなかった方法で手錠を外し、鉄格子を外し、壁をよじ登り、穴を掘り、壁を乗り越え脱出逃走。
警察、軍隊が出動して捜索するも非常線をなんなく突破し、自然の厳しい北海道で長期潜伏。まったく捕まらない。まるでルパン三世。その点は拍手喝采。実際当時の人々もこの脱獄王をヒーロー視。
哀れなのは看守。安い給料で身を危険にさらす。責任だけとらされる。戦局の悪化で看守たちも出征し、経験と能力の劣る者のみで大勢の囚人を看ないといけないタフでハードな仕事。
囚人は唯一の楽しみが食事なので、戦後の食糧難でもぜったいに量を減らせない。不満を爆発させないように気を遣う。看守よりも囚人の方が食べられる。
戦争末期の刑務所がどうなっていたのか?この本で初めて知った。樺太や沖縄の看守たちは囚人を連れて逃げ回る。法務省に指示を仰ごうにも連絡すらとれない。悲惨。
戦中戦後の刑務所の運営がどれほど大変だったか。苦労をしのぶ1冊。
終戦直後、GHQのアメリカ人将校がいかに威張り散らしていたかを改めて知った。日本はそろそろ信長秀吉じゃなく、極悪アメリカ軍人列伝みたいな大河ドラマをやってほしい。スカッとしないだろうけど、家康が最後に美味しいとこもっていくのも同じことだと思うんだが。
主人公佐久間は逃亡中にさらに殺人事件を起こしていたのだが、こちらは正当防衛が認められかろうじて死刑を回避。
戦後GHQの指示で府中へ。最後は少しは希望の持てる終わり方だが、やはり事実のみが淡々と書かれている。人生というものの切なさと儚さを感じる。
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