2018年6月15日金曜日

吉村昭「ポーツマスの旗」(1979)

吉村昭「ポーツマスの旗」(1979)の新潮文庫(昭和58年)の平成17年第19刷を手に入れた。100円。
この本の存在を自分は小学生のときから知っていた。ようやくついに読む日がやってきた。

日本全権である外相・小村寿太郎のことを知ろうとすれば、もっとも手に入りやすくよく読まれている1冊。日露戦争の講和会議であるポーツマスでの日ロ両国の交渉がどのようなものだったのか?この本を読めば日露戦争前後の国際情勢もわかる。

「戦艦武蔵」では漁業の現場から棕櫚が消えた…という視点の書き出しで始めた吉村昭、「ポーツマスの旗」では東京の街で国旗が飛ぶように売れていく情景から書き始める。この人の筆致はとにかく淡々と事実だけを書き連ねている。

薩長出身者で重要ポストが占められていた時代に、日向国飫肥藩という小藩出身でありながら苦学の末外交官となり、陸奥宗光に認められ出世していく。
この人は父親の事業の失敗で多額の借金を背負い、夫人との結婚生活も破綻し芸者遊びで家庭を顧みず生活が荒んでいた。結果身なりに気を使わない私欲のない人物。

なんと小村は身長が140㎝台と、当時としても極端に背が低かったと初めて知った。そんな小村が理路整然と冷静に、闘志を持ってロシア全権ウィッテと、決裂すれば再び戦争というギリギリの交渉に挑んだ。

この本を読むと外交交渉がどういうものか教えてくれる。自分は今までポーツマスでの会議が決裂寸前まで追い込まれていたことをしらなかった。

あと、仲裁者セオドア・ルーズベルト大統領が日本に対して好意的だったことも初めて知った。特使としてアメリカに渡った金子堅太郎がこれほどまでに大統領と太いパイプを持ち、対日感情を好転させる工作で大活躍していたとは知らなかった。両国は国際世論もかなり気にしていた。
ルーズベルトはなんとか交渉がまとまるように、強硬なロシア皇帝の説得にあらゆるツテを使っていた。

本国政府と暗号電信が行き交い、世界中の諜報員から刻々と最新の情勢が伝えられる。正確な情報を集め、正しく評価し、足りない箇所を推理し、丁々発止の駆け引きと大胆さで議論を闘わせ、両国の国益がぶつかりあう。小村もそうだが高平大使も随行員もみんなスーパーエリート。

当時の日本の軍部は奉天会戦と日本海海戦という大金星2連勝を挙げて、あとは外交交渉にまかせるしかないということがよくわかっていた。もう弾薬も人員もお金もない。絶対に講和したい。
ロシアは連敗の汚名挽回の決意で大戦力を結集中だが、海軍は軍艦がほとんど壊滅。皇帝ニコライ2世と重臣たちは主戦派だが、国内には厭戦気分と革命の気運もあって、やはりここは講和したい。ウィッテも講和がまとまらないで帰国すれば自身の政治生命も危うい…。

だが、樺太割譲賠償金が最後まで両国がまったく妥協せず折り合わない。
12か条のうち8か条で合意した。あとは第10条抑留艦艇の引き渡し、第11条極東でのロシア海軍力制限の要求を撤回することをエサに釣ろうにも乗ってこない。

樺太も賠償金要求も撤回することに明治天皇も英断。これには現場で苦労してきた随行員たちも泣いた。

だが、ロシア皇帝と懇談中の駐露アメリカ大使が「南樺太は日本に譲ってもいい」という意思があることを聞く。これが英国大使に伝わり、英国外務省から日本政府へ伝わる。
「樺太の南半分は助かる!」と息巻く日本政府。だが、桂首相は「当然知らされているルーズベルトはなぜ金子に知らせない?」と疑問に思うのだが、そこから先は名推理で意図を見抜く。

知恵の限りを尽くした頭脳戦。交渉現場の小村も「政府は何かをつかんだ」と感じとる。ギリギリの状態ですべてのプレーヤーが正しく動いた。日本は賠償金要求を撤回し樺太の南半分を得た。

会議の延長につぐ延長の土壇場で講和が成立。これはルーズベルトはノーベル平和賞ものだな…と思っていたら、実際にこの功績でノーベル賞を受賞していた。

小村は日本を出発する前から、どうがんばっても結果はすべての人を満足させられない損な役回りになることを十分に知っていた。
無知な素人が声を大に暴れまわって東京の街を騒擾。もしも彼らが今この本を読めば、日本がとてもこれ以上戦争を続けられなかったことと、決裂寸前で樺太の南半分を得るという最善の結果を知ったはず。

皇帝ニコライ2世は大津事件で切り付けられ、ロシア革命で家族ともども銃殺処刑された人なので気の毒な人だと思っていた。だが、この本を読んで、こんなにも強硬な人だったとは知らなかった。不幸な最期も仕方ないかなと思った。

この本は素晴らしく良い本だと感じた。交渉とはなによりも正確な情報を得ることが一番大切だと感じた。これほどまでにシビアで重い結果をもたらす。高校生以上のすべての人に広くオススメしたい1冊だ。

外交官たちが神経をすり減らし議論を重ね文言を選び、外相同士がサインし握手して成立した約束はこれほどまでに重い。国と国との約束を反故にする国があるようだが、国民の性格や情緒というよりも、単にこういった本を読んだりしてないからではないか?とも感じた。

あと、北方領土交渉と平和条約の締結は、自分が生きているうちにはないだろうなあと思う。ロシアは今もまともに相手にするべきでないヤバい国だと思ってる。日英同盟で対ロ圧力を強めていきたい。

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