2017年4月15日土曜日

海難1890(2015)

明治23年(1890)に和歌山県串本町沖で座礁したオスマントルコの軍艦エルトゥールル号の海難事故はわりと昔から知られていた。2002年の日韓ワールドカップで日本トルコが対戦するよりも以前から。

ドラマ化を希望していたのだが2015年に日本トルコ合作という理想的なかたちで製作されたのが本作だった。

だが、近年の日本映画でよくあるノリのヒューマンドラマ。ずっと興味深く見てたのに、とつぜん「95年後」って出たときはちょっとテンション下がった。たぶん多くの部分が創作フィクション。テヘランのくだりはエンディングにさらっと紹介する程度でよかったのでは?
だが、プロデューサーは日本とトルコの友好演出も映画で描きたかったわけだからこういう脚本になったんだろう。

オスマントルコ海軍にハリケーンやサイクロンに関する知識はなかったのか? 調べてみたら実際は危険を冒しても急いで帰国する理由があったみたいだ。
座礁してボイラーの圧力を増す意味がわからない…と思ってたら、やっぱり水蒸気爆発で総員退避。

明治20年代の海難事故救助では裸で温めるという療法はありそうに思えるのだが、心肺蘇生術って津々浦々まで行き渡ってた?
できれば、吉村昭みたいなドキュメンタリー調で見たかった。疑問に思える箇所はナレーションを入れて。
台風が来てる最中に岸壁で爆発しても、雷が鳴ってるって程度にしか感じないのでは?とも思った。

トルコの水兵がレスリング大会や吟遊詩人みたいなことやってるとか興味深かった。
だが、みんな同じ服、同じ髪型、口ひげ男で見分けがつかなくて困ったw トランペット吹き巨漢男のキャラは良かった。

トルコ水兵たちが暴風雨の海上で必死な一方で、日本人漁師たちは台風の夜は家で俗悪なゲイシャ踊り。その対比コントラストが印象的だった。
「タダでは働かない」というスケベ医者竹中直人の存在感がまったく弱かった。
赤ひげ先生・内野聖陽は威厳があってとにかく立派。忽那汐里は許嫁を海の事故で亡くしたショックでしゃべれないという設定。内野聖陽を手伝う。幸薄そう。

後半のテヘラン日本人学校の教師役だと可愛くなっていた。気が強そうだった。自国民を救済するために自衛隊機も飛ばせない日本政府に大きな瞳で絶望を訴えるw
外交関係が上手くいってない国、停戦状態にあっても内戦の国に「みんなも行ってるから」と気軽に行ってはいけないという教訓。

ひねくれまくった自分には気になる箇所もあった。だが、おそらく多くの人にとってこの映画はフツーに感動作。感動を求めるためのドラマ作品。
69名を救出できたことはすべて現・串本町の人々の献身的救助活動によるもの。末代まで世界に胸を張っていい偉業。

オスマントルコ人がどんな人々だったのかとか、イラン・イラク戦争でテヘランに取り残された日本人のこととか、映像で初めて知れたことが多かった。

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