足尾は江戸の昔から銅山で栄えた山間のまち。幕末から明治、古河市兵衛が近代的な鉱山経営を始めてからこのまちは繁栄する。明治大正の最盛期には人口が3万人以上いた。大半が坑夫、工場労働者とその家族。町のいたるところに銅を産出していた時代の工場が廃墟として残っている。自分は10年ぐらい前にこの町を通りかかったことがあるのだが、当時は山に木がなく、今以上にゴーストタウンの雰囲気を出していた。車の窓から見るグレー一色の村の風景は衝撃的な光景だった。
江戸の古典落語を聴いていると、お金のことを「お足」と言ってる場面によく出会う。それは足尾で鋳造された「足字銭」に由来する。この場所で江戸の通貨は作られていた。足尾銅山の観光施設に行くと当時の鋳造過程を詳しく知ることができる。
このまちを歩いていても若者の姿をまったく見なかった。しかし、東京方面のナンバープレートはよく見た。このまちは廃墟のまちという側面も持っていて、そちらのマニアが廃墟をめぐっている。
百年間で人口が10分の一以下に減った。これほどの栄枯盛衰を見せたまちは日本では他だと炭坑のまちしかない。鉱山は当時の花形産業だった。一山当てて成り上がる。やがて効率という問題が立ちはだかってくる。
いたるところに廃墟がある。壊さないでそのまま残っている。一番上の写真の引込み線の廃線路の陸橋の上を歩いてみたが、踏み板の下が丸見えなので怖かった。
近代産業遺産なのに活かすこともできずに放置。ときたまやってくる廃墟マニアたちにその姿をさらしている。
人が住んでいれば神社もあるのだが、無残に朽ち果てている。
これは抗夫たちの入浴施設跡だろうか?
草木で覆われ、何だったのか示す看板もない。
工場までの引込み線も荒れ果ててる
いたるところ廃墟、廃線、廃道……。
これからもずっとこのまま放置されていくんだろうか
わたらせ渓谷鉄道足尾駅のかたすみにも廃屋。さびしい駅だ。
かつて多くの労働者が住んでいた南橋住宅。土曜の昼下がり、ひっそりと人の気配がない。
人の住んでる感じのする家屋もあったのだが、老人しかいない。
いたるところに坑道が口を開いている。総延長は1200キロ、堀りも掘ったり……。
閉山してからそのまんま。ロマンを感じるというよりも怖い
このまちの唯一の観光資源とでもいうべき銅山観光施設で800円払ってトロッコに乗り、唯一開放公開されている坑道を歩いて見学。坑道に入ったのは生まれて初めて。自分も生まれる時代と場所によっては鉱山で働いていた可能性もある。真っ暗な世界。
坑道のいたるところに人形が置いてあって作業の説明テープが流れる。写真を撮ろうとしていて「あの人どかないかな~」などと考えていると人形だったりする。
江戸から昭和まで、鉱山で働くとはどういうことなのか具体的に教えてくれる。人間が労働から解放されるのは一体いつになるんだろう?
かつて水力発電所があった場所から本山地区の集落を眺める。廃墟などの暗い側面ばかり見てきたけど、今もまちでは人が生活している。足尾町は2006年に日光市に吸収合併されたのだが、まちの雰囲気はそのままだ。車じゃないと足尾を見て回るのは大変だ。そして心の準備と云うか、覚悟がいる。人間ってなんだ?日本って何だ?って
自分の見てこなかったこの国の側面を見てきた旅だった。
鉱都の痕跡を求めさまよう我々の先々に紅葉
PS. 通洞地区の食料雑貨店の店先で、あまりにみごとなかぶを見つけて買ってしまった。150円。店のおばあさんは「だいこん」だといっていた。葉っぱは味噌汁に入れた。根っこはポトフにしようと思う。
群馬側に戻り「焼きまんじゅう」をいただいた。この食べ物は群馬県にしか存在しないし、群馬県内でしか食べられない。過去何回か食べているけど、群馬に来るたびに食べてしまう。「焼きまんじゅう」という名前はこの食べ物のイメージをよく伝えていない。初めて食べると意外に思う食べ物だ。
上のかぶと一緒に映っている柿は「焼きまんじゅう」を買った露天で3個100円で買ったもの。
途中で岩宿遺跡の道路看板を見つけたので立ち寄った。ここで石器が発見される以前は、日本には石器時代はなかったと考えられていた。大変重要な遺跡。
だが、行ってみたところで博物館があるけど特に感慨もない。太古のロマンを感じるには相当な想像力が必要だ。
廃墟ツアー憧れますが、1000年後の日本でも見ているようで怖いです。
返信削除雨や曇りといった天気が景色をより際立たせていると思います。
晴れていれば、また印象も違ってくるんでしょうね。兵どもが夢の跡という感じで。
軍艦島にもいつか行ってみたいです。
この地区は明治の時代に炭鉱事故
返信削除があったところですかね?
内容がよく把握しておりませんが
それにしても不気味な写真の数々
ありがとうございました。
>harurin さん
返信削除いや、別に自分は廃墟めぐりが好きなわけじゃないよ。ただ、昔そこで人々がいきいきと働いて生活していた痕跡を追いたくなっただけ。確かに薄ら寒くて人がいなくて不気味だったけど。そういえば夕張にも昔行った事あったなあ。
>新宮の町内会長 さん
足尾銅山は明治に鉱毒事件をおこして日本史の教科書に載ってしまった日本一の銅鉱山。昭和47年に閉山してから人口が激減。ちょっと前まではもっと廃墟がそのまま残ってたらしいです。
少子化が進むと大都市の郊外も100年後にはこうなるんじゃないかなあ。
こんな所に書き込みましてすみませんが
返信削除��UIがこっそり地元に帰って来てるみたい
ですよ? 天神で撮影?
ベストアルバム初回盤の特典映像
ですかね? ん~気になる。
昨日から目撃がツイートされてるみたいだ。天神だけじゃなく新宮にも?PVかNHKのドキュメンタリーか‥。
返信削除わかりました。
返信削除とりあえず、新宮あたりのビジネスホテル
に、泊まります。仕事は休みます。
海岸の張り込みします。29日に
天神の撮影でしたから、間に合うか?
ていうか俺何してんだろ?
この行動を抑えきれないのです。
昔から。。。。。。。。。。。。。
ええぇっ?!それはさすがにもう遅いんじゃないかな……
返信削除朝の9時から、先ほどまで新宮海岸の
返信削除テトラにいましたが寒いだけでした。
ブロガーさんの忠告を聞いとけばよかった
あららら・・。
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