リドリー・スコット監督の「ブレードランナー」(1982)は見たことあるけど原作のフィリップ・K・ディック「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」(1966)は未読だった。
1969年浅倉久志訳のハヤカワ文庫(2011年58刷)がそこに55円で売られていたのをすかさず確保。もう3年前。今になってやっと読む気になった。
DO ANDROIDS DREAM OF ELECTRIC SHEEP? by Philip K. Dick 1968
どうしても映画イメージを浮かべながら読んでしまうのだが、原作は映画と印象がかなり違う。
核戦争後、放射能に汚染された土埃にまみれ、動物、生物はほとんど絶滅したサンフランシスコ。幸運にも健康で頭脳に優れお金のある人は火星に移住。地上に居るのは取り残された人々。
奴隷労働に嫌気がさし逃亡し社会に溶け込んでるアンドロイドのキルリストを、報奨金目当てで1人ずつ探し出して頭を撃ち抜いて殺していくリック・デッカード。なんだか読んでいていい気持ちがしないディストピア社会。
なぜか裕福な人々は生き物を買い求める。現代人が高級な車を見せびらかすような感覚か?
あと、マーサー教という宗教が流行ってる。そのへん、映画ではまったく描かれてなかった。
ほぼ人間と同じなのに殺されるアンドロイド。その報奨金でロボットでなく本物の生き物のヤギを飼う。なんだそれ?たぶんK.ディックによる社会風刺。
今作は映画よりも詩的で内容が深いなと感じた。ほぼ傑作だと感じた。
リックが別の警察署に連行される箇所は、え、もしかして現実と虚構があいまいになっていくの?そういうサスペンス?と期待したのだが違ったw
しかし、本物のヒキガエルかと思って捕まえたらやっぱりロボットという件がまさにそれだった。現代人も見た目で選び取ったものが本質的に違うものだったときの感覚において日々同じ経験をしてる。
あと、「ダイヤルする」という言葉の意味が現代の若者たちにわかるだろうか。

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