2025年7月24日木曜日

小林登志子「シュメル人」(2007)

今現在「アッシリア全史」で多くの人に読まれている古代メソポタミア史の専門家小林登志子せんせいの「シュメル人」(2007)読む。
2007年に新潮選書から「5000年前の日常 シュメル人たちの物語」として刊行された本の2025年講談社学術文庫版。

自分、シュメル人という言葉を高校世界史以来まったく触れてなかった。シュメル人の都市国家というとウル・ウルク・ラガシュという名前だけ呪文のように覚えている。

日本史では最古の名前の知られた日本人は、「後漢書東夷伝」に書かれた「漢委奴国王」金印を洪武帝から授かった帥升。それは1世紀後半のこと。

だが、古代オリエントは人類最初の文明発祥地。紀元前5000年前からチグリス・ユーフラテスの肥沃な三日月地帯で灌漑を整備し小麦を栽培し、神殿と城郭都市を作り上げ、紀元前3400年前ごろには楔形文字まで発明してしまったシュメル人たちは、王と后妃と子どもたちの名前を粘土板や石に刻み始めた。多くの記録を残した。スケールの違う悠久の歴史。
楔形文字が解読されていることがそもそもすごい。

そんな遥むかしの人々だが、今日の現代人から見てまったく異なって見えるというわけでもない。この小林せんせいの本を読むとすごくいろんなことが親しみを持ってわかってくる。学術本だから読みづらいのかな?と思ってたけどそんなことはまったくない。むしろ読みやすい。

ウル第三王朝ウルナンシェ王の奉納額を読み解くという第1章から始まって、ラガシュエアンナトゥム王の戦争での功績、后妃たちの結婚と葬式、シュメル人たちの交易、シュルギ王などなどをトピックとして語る。

シュメル人とはアッカド語での呼び名。シュメル人たちは自らをキエンギ(葦の主人の土地)と呼んだらしい。王はルガルエンシと呼ばれたらしい。

日本ではシュメル人はシュメール人と呼ばれることが多い。これは第二次大戦中に超古代史が流行って「高天原はバビロニアにあった」とか「すめらみことはシュメルのみこと」だとかいう珍説が流布してしまったために、中原与茂九郎京大名誉教授が混同されないように音引きを入れて「シュメール」としたとこの本に書かれている。古代オリエント史を学んだ三笠宮崇仁親王殿下は師から直接こううかがったらしい。てか、バリバリの軍人だと思ってた三笠宮様がオリエント史が専門の歴史学者だったとこの本で知った。

今回いろいろ驚いた。王が死ぬと后妃たちは殉死させられていたこと、王や神官は剃髪してたらしいこと、元祖たいやきともいえる魚型パンのパン型が出土してること、女性の裸をかたどったパンがつくられていたこと、楔形文字は学校で教えられていて歴代王の中には文字を読み書きできた者もいたこと、などなど。

あと、シュメル初期王朝を記載した「シュメル王朝表」という記録に、キシュ第三王朝に「シュメルただ一人の女王クババ」という王がいたらしくて驚いた。クババって「やりすぎ都市伝説」の関暁夫経由でしか知らなかったからw

さらに、「山月記」などで知られる日本の中島敦はなぜか古代オリエントを舞台にした短編小説を2つ書いている。「木乃伊」「文字禍」だ。
「文字禍」は「楔形文字を題材とした我が国唯一の小説」だと小林先生が書いている。だが、中島敦がどこでどうやって古代オリエント史に触れる機会を持ったのかが今も不明らしい。まじか。中島敦「文字禍」を探してきて読まないといけない。

この本は面白かった。次に「アッシリア全史」を探し出して手に入れてこようと思う。

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