2025年2月24日月曜日

ハインリヒ・ハラー「チベットの7年」(1954)

ハインリヒ・ハラー「チベットの7年 Sieben Jahre in Tibet ダライ・ラマの宮廷に仕えて」(1954 Ullstein)を読む。
ハラーがチベットを離れて14年経ってからのチベット情勢を書き加えた1966年改訂版による、福田宏年訳1981年白水社版(初版)で読む。

ウィーンでの出版の翌年1955年にはもう日本で新潮社から邦訳が出ていたのだが、これは抄訳版。この福田訳が初の完全版。しかし、1997年のブラッド・ピット主演映画が公開され角川文庫から復刻出版されるまで長い間絶版だったらしい。

ちなみに、今回自分が読んだものは図書館除籍本。なので表紙カバー欠落、シミ汚れや傷みがある活版印刷ページ本。だが、十分にキレイだった。

この本が世に出たとき世界を驚かせたらしい。チベットは厳格な鎖国政策による秘密のベールに包まれたおとぎの国。ヘディン隊ですらもラサには到達できなかった。この本を読むと、どうやらチベット人には外国人がやってきたら国外に追い返す義務があるらしい。

オーストリア人でスキーでオリンピック出場経験もあり、アイガー北壁登頂などで登山家としても名を売ってドイツ・ヒマラヤ遠征隊に参加したハラー青年。第二次大戦でドイツと英国がヨーロッパで交戦開始したことによってインドで逮捕拘留。

あれ?一緒に逃亡してる相方がイタリア人?なんか映画と違う。ハラーは何度も収容所から脱出逃亡を試みていた。映画はそのへんを簡単に描いてる。
何度目かの逃亡で、中立国チベットを経て中国へ行こうかな…程度の目的でインド・チベットの国境を越える。

ここから先がほぼ新田次郎山岳遭難小説のよう。簡単な装備と現金(インド・ルピー)を所持してはいるけど、ほぼ徒手空拳。無謀すぎる。
豹、熊などの野生動物がいるし、蚊、ヒル、虱などの害虫、人を殺すことを何とも思わない盗賊、そして厳しい寒さという過酷すぎる旅。
アウフシュナイターというドイツ人相棒がいるにしても、欠乏と困窮で心身ボロボロ。しかもハラーは坐骨神経痛。いくら欧州白人が寒さに強いといっても、こんなのいつ死んでもおかしくない。

やっとのことでラサへ潜入するまでの21カ月を150ページかけてる。ここまで多くの試練。インド人の振りをしたり、巡礼者の振りしたり口八丁手八丁、通行証のようなものを得て、強引に命知らずの旅。ヤクや犬を連れた旅。
収容所にいるほうがはるかに楽だろ。一体何がそこまでさせる?

なんと、立派そうな邸宅で「一晩泊めて」と声をかけていく。1940年代当時のラサの人々は西洋人を見るのは初めて。まさかラサまで外国人がやってくるとか経験したことのない事態。外国人と接するだけで政府から処罰されるかもしれない。「出て行って」と必死の懇願。チベットも江戸時代の日本庶民と同じように、お役人から厳しく取り締まられていたに違いない。
意外にラサの役人たちが現代的。「次から次へとラサにドイツ人がいる!と報告がやってきて、ドイツが攻めて来たのかと思ったよw」とジョーク。

なんとか「ドイツ人難民だから保護して」という主張も通ったのか?政府の許可を得ると、あとは貴族たちと交流。方々に呼び出され、いろいろと話を聴かれる。だんだんチベット語が上達。2年経つと下層階級の言葉から貴族たち上流階級の言い回しなど、ほぼ完璧にチベット語をマスター。(欧州人の語学習得能力がすごい)

チベット社会の仕組みや歴史、宗教、風俗や習慣、人々の気質などを事細かく観察し、知識をため込んでいく。そのチベット情報の膨大さがすごい。
チベット語ができると、これまでの西洋世界が得てきたチベットに関する知識を大きく踏み越えていく。
まるで学者のようにチベットに詳しくなってる驚き。この膨大なチベット知識は多くの欧州人読者を驚かせたに違いない。
あと、意外にチベット貴族は英語を話せたり、物資をインド経由で得ていた。華美な装飾品を海外から得ていて、新年の祝いの儀式なんかで自慢げに飾り立てる。

近代的な計画的植林というものがない社会は、都の周辺で材木や薪が貴重になり不足。チベットもそう。材木が運ばれてくる様子を見て「ヴォルガの船曳か」と驚くハラー。チベット社会は農奴制のようなもの。労役が租税だったりするのだが、そこは中世の社会。

ドイツ人ふたりはラサで大きな話題。やがて普請仕事など技術仕事を任され、給金も得る。(チベットではまったく工業技術のようなものが継承されてない)
そして、写真撮影と映画撮影の技術で少年王ダライ・ラマ14世と対面。ついには二人きりで長時間話をする間柄。
そして家庭教師ポジションで親しい友人関係に。そこまでダライ・ラマに親しく接した人なんて、チベット人でもいない。

そして迫りくる赤色中国の侵略と脅威。1951年のインド亡命でハラーもチベットを脱出。
その後の14年は中国の侵略と文化の破壊への怒りが書き綴られる。1959年3月のラサでの争乱と虐殺。ここはハラー氏が直接見たことでなく伝聞だが、たぶんほぼ事実。
中国人が日本が満洲や上海、南京、重慶でやったことを批判してきたら、日本は中国人民解放軍がチベットでやったことを指摘するべき。shogunもいいけど、ハリウッドは1959ラサをしっかり描くべき。チベットの独立を支援するべき。青海省もチベットに加えるべき。

いやこの本、すごい内容豊富だしボリューム感あってしかも面白い。50年代60年代から多くの人々に読まれたのも納得。誰もが一度は読むべき。強くオススメ。

あと、チベットはどこへ行ってもバター茶がふるまわれる。家でなんとなくつくれそうではあるが、ヤクのバターでないとチベットの雰囲気は出ないと思う。

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