横溝正史「青蜥蜴」(1996 双葉社)を読んだ。
「百唇譜」「猟奇の始末書」「青蜥蜴」「猫館」「蝙蝠男」という5本を収録した一冊。
しまった!収録されている短編5本、すべてすでに読んだやつだったw
光文社文庫「金田一耕助の新冒険」と角川文庫「七つの仮面」があればすべてカバーできた。これはいらなかったかもしれない…。
「青蜥蜴」と「百唇譜」は前回読んでまだ1年ほどなので今回はスルー。「猟奇の始末書」と「猫館」と「蝙蝠男」は5年ぶりに読み返した。うーん、どれもあんまり傑作という感じはしない。
巻末の山村正夫解説によれば、横溝正史が9年間の休筆に入る直前の数年間に執筆し「推理ストーリー」(小説推理の前身)に掲載された中短編を収めたという。
昭和30年代後半の社会派推理小説の台頭によって作品数が激減した横溝正史先生は、昭和40年から49年まで休筆状態に陥っていた…と知った。
だが、昭和49年に先生の旧作が「少年マガジン」で劇画化され大ヒットしたことが機縁となり、「宝石」で中絶していた未完の長編「仮面舞踏会」を完成させ講談社より刊行。そして昭和50年に「野生時代」で「病院阪の首縊りの家」連載に着手。51年に映画「犬神家の一族」大ヒットで空前の人気作家へ…という流れだったことを知った。
そして、巻末に横溝正史先生の随想が3本ある。
「歩き、歩き、かつ歩く」
62歳まで健康を保った横溝先生の健康法は散歩だった!というエッセイ。月に連載を3本抱えていたときは、原稿をもらいに来た記者に謝るのがつらくて、記者が来る前にとにかく散歩に出たらしい。
「桜の正月」
戦争末期の昭和20年4月に岡山県吉備郡岡田村字桜へ疎開した横溝一家。(なんと昭和23年夏まで滞在)
食糧難は東京よりはるかにマシだったけど、鶏肉ですら手に入らない。遠縁の家に挨拶に行ったら幼い娘のおもちゃにと子兎をもらったのだが、昭和20年の暮れには成兎に。気弱な正史に代わって、正史の見てないところで加藤某が絞めてくれた。おかげで昭和21年の正月は兎の雑煮を食べることができた。
吉川英治「徳川家康」にある、家康の祖先が兎の雑煮を食べて運が開けたエピソードを思い出す横溝先生。昭和21年は確かに運が開けた…という回想。
「ノンキな話」若かったころから物を書いていた横溝先生。初めて「新青年」の懸賞短編に応募したら一等賞。賞金十円を得た…という思い出。
当時、十円札を「イノシシ」と呼んでいたという。その理由は忘れたという横溝先生。
だが、今はグーグルで画像検索がある。検索したら一発でわかった。昭和初期に流通していた十円札は和気清麻呂とイノシシが描かれていた!
家業のために神戸で薬剤師をしながら、怪しい翻訳で小遣いを稼いでいた横溝正史を東京に呼び寄せたのは江戸川乱歩。「新青年」の博文館に押し込んでくれたのも乱歩。
そんな知識を学んだ。
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