2021年6月15日火曜日

ロック・フェスティバル

新潮新書「ロック・フェスティバル」(2007 西田浩)を読む。読売新聞文化部ポピュラー音楽を担当した記者が見た日本における大型ロックフェス黎明期。
出た時以来で十数年ぶりに読み返す。面白かった記憶があるので。それに現在はロックフェス存続の危機。

大型ロックフェスの元祖は1969年ニューヨーク・ウッドストック。日本でも70年代からロックフェスというイベントはあったのだが、冠スポンサーの意向次第の1回限りのイベントばかり。
1994年奈良東大寺で3日間開催されたグレートミュージックエクスペリエンスで日本から単身出演したX-ジャパンのファンたちのことを批判的に書いたら「死ね!」という手紙や抗議の電話が来た話は昔も今も変らないなと思ったw

この本で一番面白いのがスマッシュ日高社長によるフジロックの回想。このひとは日本でグラストンベリーみたいなロックフェスをやってみたい!と思っていた。

多くの人が知ってるかもしれないが、今の若者は知らないかもしれない。第1回フジロックが眼を覆いたくなる惨状だったことを。なんと台風が襲来w(ちなみに第1回ロックインジャパンも台風)

1997年7月26日27日の2日間、山梨県富士天神山スキー場で前例のない3万人規模の六フェスを開催。これがもう最初から混乱必至の一か八かのイベント。
河口湖駅でバスを待ってる長蛇の列。すでに本降り。
交通渋滞が予想されるので検問ゲートがあるのだが、「別荘地にいく」と嘘を言ったり、ゲートを振り切ったりした車が山道に路駐。シャトルバスがすれ違えないとか、笑えない事態。

当時の若者はまだ誰もロックフェスを経験していない。外国の有名バンドを見れる機会はそうそうない。焦燥感と悲壮感。最前列に荷物を置いておけば…と考えるも、その荷物をゴミのようにステージと柵のあいだに投げて棄てるw やっとキープした場所を手放してなるものか!
しかも強風と大雨。雨風をしのげる場所もわずか。しゃがみこんで「寒い…」と震える。救護所は野戦病院さながらの地獄w

ずぶぬれになりながら山道を歩く若者はまるで難民のようだったという。まるで新田次郎の山岳遭難小説。八甲田山死の彷徨…。
これでが第2回の開催は無理だな…と誰もが思った。第2回はなんとお台場開催。自然の中でのロックフェスを放棄。

第3回(1999年)は当初、静岡の朝霧高原に打診するも交渉が難航。そんなとき、新潟の苗場スキー場(コクド)が誘致。以後ずっと苗場開催。なによりアクセスがいいしインフラも整ってる。

日高社長は独断で2004年から3日通し券のみ発売を決める。3日間でプログラム組んでるので3日見てもらわないと主催者の意図が伝わらない!会場の素晴らしさを隅々まで知ってもらいたい!3日間も休みが取れない?そんな余裕のない日本社会を変えていきたい!と理想に燃える。(翌年には撤回)
主催者とファンの信頼感でなりたつフェスが理想。できれば当日まで出演者すらわからないよにしたいとすら語るw 

フジロックの混乱を目の当たりにして、クリエイティブマンは英国レディング・フェスを参考に都市型フェス「サマーソニック」を立ち上げる。2000年に第1回を富士急ハイランドで開催。(第2回から幕張開催)

あとはひたすら2000年前後の日本における洋楽ロックシーンを振りかえる内容。北欧の小規模フェスやテキサス州オースティンのSXSWも取材。フェスの今後を提言。

初期の参加者のような、悲壮感すらただよう殺伐とした感じはなくなり、回を重ねるごとに大人の余裕が生まれ始める。遠くから見れればいい。なんなら見れなくてもいい。それどころか1日川遊びしたり酒飲んで帰る客も現れ始めて現在に至る。日本はやっと豊かになった。

この本では日本の極端な少子化や夏の猛暑酷暑にはまったく触れていない。英国のフェスの映像を見ると中高年も会場にいて驚く。日本の夏の屋外でスタンディングのフェスは無理だ。ひたちなかとか毎年35℃ぐらいになるし、フジロックは毎年強い雨が降ってる。夏の気候が気持ちいのはせいぜい北海道。

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