2021年2月5日金曜日

関裕二「応神天皇の正体」(2012)

関裕二「応神天皇の正体」を読む。2012年に河出書房から出たものを2017年に文庫化したもの。ひさしぶりに関裕二を読む。

これまでにこの人の本を何冊も読んできた。どの本もこの人の主張で共通してる部分がある。中臣鎌足の正体が百済の王子、邪馬台国の女王を殺したトヨの正体は神功皇后などなど。この本では神功皇后の子である謎の応神天皇を扱う。
3世紀から古墳時代、古代史において重要な天皇は崇神天皇、応神天皇、継体天皇だ。

越からヤマトに婿入りした継体天皇は応神5世の子孫。現在の天皇家にまで続いてる。
もともと日本書紀は文字もなかった時代のかすかな記憶を万世一系の天皇家として、藤原氏のいいように書き記したもの。実在しなかった天皇を8世紀に知ってた人物たちをモデルに創出したフィクション。

だが、関氏によれば「神武天皇と応神天皇は同一人物」「崇神天皇と応神天皇は同時代人」「応神と仁徳もたぶん同一人物」それぐらい古代天皇は似たエピソードだらけ。自分からすると仁徳天皇のほめちぎり事績はだいたいフィクション。言ってることが後世の価値観で作られたこと。中華の易姓革命思想が盛り込まれてる。

ホムタワケ(応神)は武内宿禰(蘇我氏の始祖)が父?!

宇佐八幡宮神託事件ってそもそもなんで宇佐八幡だったの?天照を祀る伊勢でなく?という視点は目からうろこ。八幡と応神、そして朝鮮半島との関係。トヨの国、国東、宇佐、日田はヤマトが九州北部を押さえるために重要な地であることは理解した。

あと、自分は葛城襲津彦という人物を最近まですっかり忘れていた。新羅に渡ったまま3年遊びふけってた将軍。だが、そのエピソードって彦彦火火出見尊や浦島太郎と似てね?たぶん襲津彦は司令官どころか九州南部の王。

こういう本は何冊も読んでいろんな説にふれて補間していくしかない。人それぞれで全体像イメージがぜんぜん違う。

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