2019年8月12日月曜日

中田整一「盗聴 二・二六事件」(2007)

中田整一「盗聴 二・二六事件」(文芸春秋 2007)を読む。久しぶりに2.26事件関連書籍を読む。
これは昭和54年にNHKスペシャル「戒厳指令『交信ヲ傍受セヨ』」として放送された内容と、「消された真実 陸軍軍法会議秘録」、プラス後の取材から成る2007年に出た単行本。この本はすでに2.26事件関連書籍として基本書らしい。

自分が松本清張「昭和史発掘」で初めて2.26事件書籍を読んでからもう7年経ってる。清張が昭和史発掘を連載していた当時はまだ世に出ていなかった戒厳司令部による20枚の盗聴録音盤と、2.26事件軍法会議で検察官として取り調べをした匂坂春平法務官が自宅に保管していた匂坂資料についてガッツリ掘り下げてる。

録音レコードの発見と、劣化して聴きとりずらい音声を聴きやすくする処理の経緯も面白いのだが、やはり、そこに記録されている会話のミステリーが面白い。

首相官邸を占拠した栗原安秀中尉のもとへ「スガナミさん」の件で電話をかけた女性は誰か?
この件で「妻たちの二・二六事件」で知られる作家澤地久枝さんが大活躍。「おそらく西田税の妻・初子さんだ!」

で、西田初子さんに音声を聞かせる場面が貴重なドキュメンタリー。「栗原さんはもっと甲高く張りのある声だった」「この音源の声は年よりくさい」という証言が貴重。

明治帝国憲法下でも通信の秘密は明文化されている。だが、戒厳令下なので致し方ないという解釈。
ただ、当時の人々にも盗聴にはうしろめたさや卑怯というイメージがあったっぽい。多くの人が嫌がった。番組放送後に「自分がやりました」と名乗り出た戒厳司令部の濱田通信主任も「やるんじゃなかった…」と後悔。

大学研究室も目的を聴いて録音できる機材を貸し出すのを断わった。昔の軍人はこういうとき銃口を突き付けても言う事をきかせるイメージがあったので意外。
軍法会議にも「後日禍根を残す」からと証拠提出されていない。

川島陸相に戒厳令の発令を囁いたのは石原莞爾。だが、岡田啓介首相に代わって後藤内務大臣が総理臨時代理となった閣議でも、閣僚たちから「民衆が武装蜂起したわけじゃない。軍内部の問題だから軍令軍規でなんとかしろ」という雰囲気。5.15事件のとき以来軍は信用をなくしていた。川島陸相トーンダウンw

戒厳司令長官香椎浩平中将は皇道派で反乱軍側に甘く便宜を図るのに張り切ってたことは「昭和史発掘」にも書かれていた気がする。
だが、匂坂と東京憲兵隊長坂本大佐だけが気づいてた香椎のヤバさと「陸軍大臣告示」下達の時刻の重要性はたぶん松本清張も気づいてなかった。真崎、荒木、山下、香椎の4人は闇すぎる。隠ぺいした陸軍という組織は真っ黒。

真ん中あたりまで読んで、当時放送されたNHKスペシャルの動画がどこかにないかな?と思って調べたら、YouTubeにそっくりそのままUPされていた!見た!
いやあ、とんでもなく貴重で面白かった。事件関係者の多くがまだ生きていた!インタビューを受けていた!番組冒頭でアナウンサーが「ご記憶の方も多いでしょうが」と切り出していたのが衝撃!

反乱軍占領地域から発信された通話も録音されていた。この会話に登場する「銀座の2317番」が当時の電話帳を調べてみた結果、ドイツ大使館!しかも大使直通電話!
当時のドイツ大使館は現国立国会図書館の場所にあって、陸軍省、総理官邸、建設中の国会とすべて見通せる場所にあった。

NHK取材班はこの日ドイツ大使館に状況説明に行った参謀本部第二部ドイツ班長・馬奈木中佐もつきとめてインタビュー。西ドイツに行って当時の外交官にもインタビュー。

この番組が放送された当時は戒厳司令部で働いていた人も存命していた。警視庁を襲撃した常盤稔中尉も、鈴木貞一も元気にインタビューに答えていて唖然。鈴木貞一は戒厳司令部が自分をマークして通話傍受録音していたことに驚いていた。

安藤輝三大尉が宿営した赤坂の料亭幸楽にキタを名乗る人物から「カネカネ」という聴き取りが困難な通話も記録されている。番組では「2/29北→安藤」というラベルの貼られたレコードの通話を北一輝と断定していたのだが、東京憲兵隊特高課長福本氏によれば北一輝は2月28日夕刻には逮捕されていて29日に電話できたはずはない。

北も後に取り調べで安藤に電話をかけたことを否定。北「安藤大尉とは4,5年会ってない」。
この本では、戒厳司令部濱田通信主任がキタを名乗って探りをいれたんじゃないか?という説を提示するのだが、この本のラストでそれは否定される。

取材班はこの録音を静岡で洋裁学校を営んでいた安藤大尉未亡人房子夫人に聴かせているのだが、聴きとりづらく短い通話に失望してたとのこと。
あと、料亭幸楽の現在の姿(といっても放送時だが)を見た瞬間、あ、1982年に大火災を起こしたホテルニュージャパンじゃないのか?!と思った。調べてみたら本当にそうだった。なんという歴史の偶然。

首相官邸を占拠した栗原中尉に「今払暁ね、攻撃してくるかもしれませんよ」と話していた人物が放送時はわからなかった。池田俊彦元中尉に聴かせたところ、政治工作を担当していた亀川哲也ではないか?ということだった。これも後に匂坂「電話傍受綴」から斎藤瀏予備役少将であったことが判明。

だがこの録音盤20枚で最も胸を打つ箇所は、赤坂の幸楽にいる上村軍曹を説得する機関銃中隊高橋丑太郎中尉の肉声。高橋中尉は府立一中(現日比谷高校)内の電話から通話してたらしい。
投降し生き残った上村は後に満洲に警察官として渡り、事件から2年後に高橋中尉と再会したという。

高橋中尉は昭和18年ニューギニアで戦死。番組では千葉に住む未亡人を訪ねてこの通話録音を聞かせるという劇的な場面も映像収録している。
「この人は今、鹿児島?」と聴いて未亡人が絶句しているシーンが、当時テレビを見た視聴者は意味がわからなかったと思う。この夫人は終戦後、鹿児島の上村氏が住んでた町の隣町に住んでいたという偶然があったのだ。
この二人を追跡した経緯も面白い。上村氏は最初ぜんぜん取材に乗り気じゃなかったが、番組放送後は鹿児島では西郷どんの次に有名人になってしまったそうだ。

あと、山下奉文も自宅の通話が録音されていた。この人は昭和天皇の不興を買って暗い人生コース。早く軍人を辞めるべきだった。妻も軍人の家系で寺内新陸相とコネもあってか粛軍であってもわりとダメージが軽かった。だが、このことがマニラ軍事法廷へとつながるのだから運命の皮肉。

この本はとても面白かった。2.26事件にちょっとでも関心のある人にはオススメする。

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