2018年12月23日日曜日

日本初の航空機死亡事故現場

埼玉県所沢市は航空記念公園があって、日本の「航空発祥の地」とされている。それと同時に日本初の航空機事故による犠牲者を出した場所でもある。

先日、所沢方面へ出かけたついでに記念碑を見て来た。それは墓地の中にある。かなり立派な石碑としてそこにある。

そこに所沢市教育委員会の立て札があったので読んでみた。
所沢市指定文化財(史跡)
木村・徳田両中尉墜落地 
所沢市は日本初の飛行場が開設され、「航空発祥の地」として 知られていますが、航空界初の犠牲者が出たのも、この所沢の地でした。 
大正二年(1913年)3月28日、陸軍省は航空機の重要性を説くため、貴族院・衆議院議員を対象に青山練兵場で観覧飛行を行いました。その帰路、木村鈴四郎砲兵中尉と徳田金一歩兵中尉の搭乗したブレリオ機は、午前11時59分、所沢飛行場を目前にして突風を受け左翼が折れて墜落、両中尉とも即死でした。 
事故現場は、旧松井村下新井柿木台(現在の所沢市下新井)にあたります。両中尉の所沢での葬儀は、3月31日におこなわれ、会葬者は所沢飛行場から飛行機新道、日吉町を通り所沢駅に行き、停車場まで見送ったといいます。事故後、両中尉の記念塔を建ようとする運動がおこり、やまと新聞社が中心となって義金を募集、 墜落現場の土地を購入して、両中尉の銅像記念塔が建設されました。 除幕式は一周忌にあたる大正三年(1914年)3月28日に 挙行されています。
この記念塔は、昭和四年(1929年)に所沢駅前へ移され、 さらに何度か移転を繰り返しましたが、昭和五十六年(1981年) に所沢航空記念公園内に移され、現在に至っています。 「記念塔の移転後、ここ墜落地跡には、根府川石で作られた「木村・ 徳田 両中尉殉職記念碑」が建立されました。
平成二十三年三月 所沢市教育委員会
飛行場はもうすぐそこという場所での無念の墜落事故だった。そっと手を合わせてきた。

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