2015年3月12日木曜日

三崎から城ヶ島へ

初めて三浦半島の三崎町の先へ友人と行ってみた。相模の国、三浦半島は山と谷の土地。登っては降りての道の先、三崎は町が今でも昭和だった。
実は「ホットロード」巡礼でたまたま立ち寄ったのだが、旧三崎中学(現三浦市役所第2分室)のあるあたりは三崎城跡だった。北条早雲が三浦氏を滅ぼしたことは司馬遼太郎「箱根の坂」で読んだことがあったのでしばらく周囲を眺めてすごした。
三崎城跡 このあたり一帯は城山といい、古城の跡である。三崎城は海にのぞみ丘陵に地の利を得、土塁、空掘をいく重にも組み合せた中世の山城で、築城の年月は不詳であるが永正十五年(1518年)7月11日北条早雲に敗れた三浦義同が新井城(油壺)に亡ぶとき、三崎城もまた落城した。その際囲みを破った城兵は城ケ島に逃れなお抵抗をつづけたという。 
その頃、三浦氏は戦国の風雲に乗じ相模一円に領域を拡げていったが、三崎城は三浦一族累代の居城新井城の背後をまもる重要な支城であるとともに水軍の根拠地でもあったといわれている。 
落城の後、北条氏はこの城に五代にわたり兵を置いたことからいまに北条山の地名が残っている。しかし天正十八年(1590年)豊臣秀吉に攻められ小田原北条氏の滅亡にともない三崎城は廃城となった。 (三浦市)
と書いてある。
この三浦市体育館がある場所がかつての本丸跡。どうしたらこんな味わい深く色あせるのか?というぐらいに古びた体育館だった。だが、何でもすぐに新しく建替えるのではなく長く大切に使うことはいいことだと思う。
人生で初めて城ヶ島に渡った。橋を渡るのに通行料を取られる。小雨がぱらついてきた。
この三浦半島独特の地形を見る為に、学生たちがフィールドワークに来ていた。
みやげ物店の並ぶ通りを抜けて城ヶ島灯台へ。慶安年間からある古い灯台。明治になってフランス人技師ヴェルニーの設計で西洋式の灯台が建ったのだが関東大震災で倒壊。後に再建されたもの。手前に何やらヘンテコなギリシャ神殿風の公園があった。これがプチ廃墟感をだしていた。
海岸から高い場所にある見晴らしのいいハイキングコースへ登って歩いてみた。道の両側にはスイセンが咲いていてとても気持ちのいい道。
この道が「TRICK」の上田と山田に出会いそうな味わいのある道だった。小雨がぱらついていて寒い日だったので誰とも出会わない。
だれもいない隠れ里のような磯とビーチ。夏に来たら気持ちいいだろう。駐車場からだいぶ歩くけど。
この日の我々の最終目的地はこの馬の背洞門。灯台のあった場所からゆっくり徒歩15分ぐらい?上の部分が細いのでいつ崩れてもおかしくないかも。
なので、上は歩くなよという注意書きがある。
10分ほど滞在して寒々しい海と磯を眺めて、来た道を戻る。先ほどの「民家駐在所」という標識の方向へ進むとこんな風景の場所に出た。城ヶ島から菜の花越しに三崎漁港を眺める。
灯台の形をした駐在所のある集落までここからすぐ。鎌倉の裏山のような感じ。集落はわりと普通の街並みでそれほど昭和を感じるようなことはなかった。

三崎といえば「マグロ」なので食事をすることにした。城ヶ島ではみやげ物、食事どころでは例外なく客引きから声をかけられる。我々はカンだけで「しぶき亭」という店で食事をすることにした。この日の城ヶ島は閑散としていたが、この店には人が多かった。友人はマグロの刺身定食、自分はマグロかつ定食。とんかつのごとくパン粉をつけて揚げたマグロがメインのおかず。友人とシェアしながら食べた。
この店はすごく積極的に客に話しかけてくる。食べてる最中も食べてるものを解説してくる。地物の新鮮な「めかぶ」を勧められる。さらにイカ焼きとノンアルコールビールをたのんだ。美味しかった。大満足して帰り路についた。

0 件のコメント:

コメントを投稿