2013年10月30日水曜日

アンリ・カルティエ=ブレッソン

Henricartierbresson
2007年夏に東京国立近代美術館で開催されたアンリ・カルティエ=ブレッソン大回顧展「知られざる全貌 De qui s'agit-il?」のカタログが350円でそこにあったので購入。なかなか重厚で立派な装丁で、これは読んであげないともったいない。

自分はかつてフィルムコンパクトカメラを持ち街をさ迷い歩いていた。「俺はブレッソン」とか、「俺は木村伊兵衛」とか気取りながら。それらしい写真なんて撮れなかった。ま、バカだったわ。

2003年4月にパリ・フランス国立図書館での展示から始まった大回顧展はヨーロッパを廻り2007年に東京を経て、昨年韓国で終了した。HCB財団初の企画展覧会。

1908年フランスのブルジョア家庭に生まれたアンリ・カルティエ=ブレッソンはまず絵画を学ぶ。22歳のアフリカ・コートディヴォワール旅行で写真を撮り始める。1930年代から本格的に作品を発表。第2次大戦中はドイツ軍の捕虜となり脱走の経験を持つ。

1947年にニューヨーク近代美術館で初の個展。同年、ロバート・キャパ、デイヴィド・シーモアらと「マグナム・フォト」を設立。1952年にフランスとアメリカで出版された「逃げ去るイメージ Image à la sauvette」を発表。写真でよく使われる「決定的瞬間」という言葉は同写真集のアメリカ版「The Decisive Moment」に由来する。まあ、20世紀最大の偉大な写真家のひとり。
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「サン=ラザール駅裏」(1932)という最も有名な1枚の写真には、重苦しさと静けさ、混沌と抽象性、動と静、ユーモアまで、世界の多様性を完璧な構図で、たった1枚の写真に同時に閉じ込めた傑作とされている。

巻末にブレッソンが「逃げ去るイメージ」への序文として書いたテキストが掲載されている。「ルポルタージュ」「主題」「構図」「技術」「注文主たち」「写真と色彩」というテーマでブレッソンの写真哲学が語られている。心構えみたいなもの?写真に関心が高い人には大いに参考になるかもしれない。

増田玲氏による「アンリ・カルティエ=ブレッソンと日本」という、1950年代の早い段階からこの国でブレッソンが受容されていった過程を解説している一文が興味深かった。

アサヒカメラがブレッソン作品を毎号紹介していたのに対抗するように、1954年新創刊された「カメラ毎日」がロバート・キャパを招聘したということを知った。キャパは離日直後にインドシナへ行き5月に地雷を踏んで死亡してしまう……。

木村伊兵衛はブレッソンの作品から刺激を受け1953年から「秋田シリーズ」を撮り始める。ブレッソンと交流があった木村は1955年のアサヒカメラでブレッソンと座談会。ブレッソンがどうやってスナップ写真を撮っていたのか詳しく語っている。まさに名人のたたずまい。

今でもブレッソンが世界を旅して残した写真を見るといろいろな発見がある。フォトジャーナリズム以外にも、アイルランドの片田舎のような、何度も眺めたくなるような作品も残した。
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2 件のコメント:

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    すいません。外国の写真家の名前はマン・レイとキャパぐらいしか知らないや。
    いい写真ですね。
    水溜りというより「釣堀を飛んでいるおじさん」みたいで・・・
    この写真は唯一のトリミングされたものだそうだけど、まあ、バッチリ決まっていて、ファンタジーを感じますね。遊び心に溢れている。
    柵の向こうにモネの絵の「サン=ラザール駅」の三角の屋根みたいなのが見えるから、駅より高い場所なのかな。
    背後の看板の(B)RAILOWSKYはピアノ・コンサートの案内?
    ためしにRAILOWSKYでググルと図案化された面白い画像が出てくる。
    いろいろ勉強になりました。

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    自分も勉強のためにまとめてるところはあります。
    着水ギリギリの時間を止めてるところが見事ですよね。
    そういえばモネにもサンラザール駅の絵画あったって思い出しました。
    ブライロフスキーってけっこう有名なピアニストだった気がします。
    いろいろ勉強になります。

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