ブックオフの乱雑な雑誌の棚にこれを300円で見つけたときはうれしかった。BPASS 2006年7月号 ポスターつき。
1冊持っているけど、厳重に保管(?)してあって、部屋のどこかに埋もれているのでサブとして2冊目をゲット。
これはまさに「タイヨウのうた」公開記念号でもあるので多くのYUIファンが持っているんじゃないかな。発売から2年ぐらいはバックナンバーも入手が可能だったし、きっとタマ数は多いはず。それほど困難なく入手できるはず。
今回、インタビューをめくってみて、「ああ、なんでもっと読み込んでこなかったんだろう?」というぐらいに重要なことを多く語っている。ビアンコネロとのストリートでの出会いについてもっとも詳細にYUIが語っている資料だ。実物はぜひ入手をオススメして、そのビアンコとの出会いについて中心に抜粋 インタビュアーは山本祥子
とても微笑ましいエピソードの数々だし、人間をここまで動かすものは情熱なんだなと深い感銘を受けるインタビューだ。10代の人にはとても参考になるだろう。絶対にこれをしたい!ってことを見つけられた人は幸せ。
これはまさに「タイヨウのうた」公開記念号でもあるので多くのYUIファンが持っているんじゃないかな。発売から2年ぐらいはバックナンバーも入手が可能だったし、きっとタマ数は多いはず。それほど困難なく入手できるはず。
今回、インタビューをめくってみて、「ああ、なんでもっと読み込んでこなかったんだろう?」というぐらいに重要なことを多く語っている。ビアンコネロとのストリートでの出会いについてもっとも詳細にYUIが語っている資料だ。実物はぜひ入手をオススメして、そのビアンコとの出会いについて中心に抜粋 インタビュアーは山本祥子
「高校生になって、バイトを始めたわけですよ。そしたら時間がちょっとずつなくなってきちゃって、自分の思うように音楽ができなくなった。それは歌うことがなくなったってことで、私にとってかなり致命傷な感じがしたんですよね。1日、1日、わだかまりが大きくなるなかで、ふと自分には音楽の道はないのかなってポッカリ穴が開いたような気分になって。なにもない人生になると思った」自分から音楽が消えてしまったなら、なにも残らない?
「と思った。その後、体を崩して入院することになって、考える時間ができて、学校をのちのち辞めるっていうのも決めたんですけど、中途半端にするのは良くない、やっぱり音楽やりたい!と思ってて。で、踏み出すキッカケとなったのがストリート・ライヴとの出会い。(福岡の)天神の駅でビアンコネロに遭遇して、生歌と生音に感動しましたよね。でまた、心に響く詞だったんですよ。もうそういう時の本能は鋭いみたいで。ライヴを終えたばかりのみんなにお疲れさまですって挨拶しに行って。本気で音楽をどうにかしたいと思っているんですけど、どうしたらいいのかなと思いまして、みたいな。高校も辞めちゃったし、専門学校かなと思ってるんですとかってタラタラ話したら、もっと気さくな場所、福岡には音楽塾っていうのがあるよって教えてくれたんですね。それからは縁が繋がってって、メンバーが音楽塾の人に言ってくれたら、その人はビアンコのライヴで既にお逢いしてた人で、あの子か、じゃあ連れておいでよって感じで通うようになって」そのビアンコに話しかけた時には、YUIは歌を披露したの?
「してないしてない」じゃあ歌声は全然聴いたことないけど、音楽塾の人に紹介してくれたんだ。
「多分、目が本気だったんですよ(笑)。なんかわかんないけど、私にとっては今しかない!でしたからね。実際、音楽塾とかストリートに出会ったことで世界が広がったし、自分で切り開こうとしたから、ちゃんと見たいものが見える、知りたいことが知れる位置にきたし」じゃあ音楽塾に通うようになってから、曲を本格的に作り始める、と。
「そしてギターも弾き出したかな。音楽塾にギターが何本かあって。当時はお金がなくてギターを持ってなかったんで、早く行って弾かせてもらってたんです。でも弦を換えたのはいいけど、1個だけ逆巻きにしちゃって。あれれ、この弦だけ巻くと緩くなるぞ?!って。すかさずビアンコに、お前か?!ってツッコまれて、スミマセン、間違えました!って」ククク。なーんかビアンコとの関係が部活っぽいんだよなぁ。
「うん。その頃もよく、お前、体育会系だなぁって言われてました」でもたくさんある楽器の中でギターを選んだのはなぜだったんだろう?
「んー本能的に、かな?!とにかく音楽をどうにかしたいと思っていたわけですよ。だから音楽をもっと知りたくてバンド募集もよく見てたし。若いし、女の子だし、経験もないから、受け入れてくれるバンドはなかったけれど。でもなんでか知らないけど、本当に自分でもわかんないけど、バンドとかギターって普通に思いつくようなことじゃない気がするし。でも全部が出会いで、最初はエレキの方が好きだったのにアコギも弾くようになったし。曲作りするなんて思ってなかったから不思議だったけど。でもすごく恵まれてると思う」ってことは、最初の音楽をどうにかしたい=歌を歌いたいだったんだ。
「曲をつくること、もっと単純に言えば、曲がコードでできてるってことすら知らなかったから」学生時代、もしくは音楽塾に入ってから、人前で歌う機会ってあったの?
「よく歌ってたのはバイトの帰り道。夜、いつも通る田んぼに囲まれた1本道があって、ポツポツって立ってる街頭に寄りかかって歌ってた。でも朝も音楽聴きながら学校に行って、帰りも聴きながら帰ってくるし、ヘタすれば休み時間もね。あの、冬服になると袖があるじゃないですか。そこにヘッドフォン通して、ヒジついてるフリして聴いてるとか、そんなことまでしなくていいのにって今は思うけど(苦笑)誰もついてこれないですよね、こんな音楽バカに。行き返りに昼休みまで聴いちゃったら友だちできないですよ(笑)。高校に入ってからはたくさんできましたけど。そんなに寂しい学生生活ではなかったですよ」
とても微笑ましいエピソードの数々だし、人間をここまで動かすものは情熱なんだなと深い感銘を受けるインタビューだ。10代の人にはとても参考になるだろう。絶対にこれをしたい!ってことを見つけられた人は幸せ。
そして、才能があって、人もうらやむ成功があって。YUIのことをよくわかってないひとはもったいない。哀れだ。YUIを知れば世界は広がるのに。
YUIがバイトの帰りに通ったという上府の田んぼのあぜ道は、昨年自分がYUI友と福岡新宮を訪れたときには、まさに再開発中でまったく特定できるものはなかった。残念。
YUIがバイトの帰りに通ったという上府の田んぼのあぜ道は、昨年自分がYUI友と福岡新宮を訪れたときには、まさに再開発中でまったく特定できるものはなかった。残念。
天神のストリートの場所も姿を変えつつあるし、今後どんどんYUIの痕跡が消えていく。いける人は早めに行ったほうがいい。ビアンコだけが見たYUIのマジの眼差し。きっとすごかったんだろう。そのビアンコネロとの親交はいまでも続いている。
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すごい