松本侑子「恋の蛍 山崎富栄と太宰治」(光文社 2009)という本をいただいてきたので読む。
昭和23年に太宰と三鷹の玉川上水に入水情死した山崎富栄の28年の生涯を描いた評伝小説。
近江の八日市出身の父・山崎晴弘の次女として東京本郷に生れた富栄は、日本初の美容学校を創設した父から大切に育てられる。
父の学校も銀座の美容院も震災と戦災で失うも、結髪とパーマの技術で懸命に働いて再興のためにお金を貯めるのだが、作家としては天才でも生活能力のない頽廃男と出会ってしまう。富栄の兄(享年19)は弘前高校に通っていたという縁があった。
「斜陽」「桜桃」「グッドバイ」は文壇での孤立と肺病と執筆と愛人と子どもと心も体もボロボロの太宰を献身的に看病した富栄が支えたから生まれた。「斜陽」が大ヒットしたのだが、むしろ税金の取り立てが来てさらに苦境。税務署は昔から人々を苦しめるw
富栄18歳の有名なポートレートは父晴弘が撮影。学校での実演のために島田髷のモデルとなったとき。この写真が事件後に出回り「富栄は芸者」という間違った情報が広まってしまう
。
太宰との情死後に富栄と山崎家は「太宰を殺した芸者」みたいに世間から攻撃され白い目で見られたのはこの本を読むまで知らなかった。いやいや、太宰は若いころから自殺未遂と心中未遂で若い女給を死なせたりしてるのに。太宰は方々に遺書を書いているのに。
井伏鱒二は戦後太宰と疎遠。太宰の最期の言葉に「井伏さんは悪人です」というのがある。井伏は太宰と美智子との結婚の世話もしたのに。井伏と太宰の友人・亀井勝一郎らの「太宰の首筋に絞められた跡があった」という事実無根の誤情報を発信した罪は重い。この本を読むと井伏と亀井のイメージが変わる。
山崎富栄はわずか10日ほど夫婦だった夫・奥名修一がいた。宇都宮出身で三井物産マニラ支店に勤務。もう戦局はマニラへの飛行も困難。現地で招集された修一はマニラ到着後ほどなくしてバギオ山岳地帯で戦死。修一が生きていれば富栄は太宰と情死することはなかった。
老父・山崎晴弘さんの悲しみを想像すると、自分は神田正輝さんのことを想わずにいられない。





























