中公文庫から「王将・坂田三吉」(2021)という一冊が出ているので読む。松村梢風、織田作之助、藤沢桓夫らの坂田三吉を描いた小説とエッセイを集めた一冊。
自分、将棋には何も詳しくないのだが、坂田三吉とか木村義雄とか升田幸三とか大山康晴とか中原誠とか加藤一二三とか谷川浩司とか羽生善治とかスーパービッグネームは一通り知っている。小学校のころ将棋をちょっとはやったけど、3手先ぐらいまでしか考えない自分はまったく強くなることはなかった。なので将棋が強い人は尊敬。プロってだけで雲の上の人。歴史上の名人たちはどのぐらい強いのかもわからない。
坂田三吉(1870-1946)は今も大阪人のヒーローだが自分はいつの時代の人かも知らなかった。この人は独学素人将棋で無敵の強さ。全国に名の知られた人。日清日露の戦役のころから将棋を指して大正時代にピークを迎えた人。
坂田を描いた北條秀司(1902-1996)の小説「王将」も、坂東妻三郎の映画「王将」も見ていない。これらによって広まった坂田の間違ったイメージを正す本。
村松梢風(1889-19961)の「二人の王将」(読売新聞1952年11月25日~12月31日連載)から読む。三吉の宿敵・関根金次郎(1868-1946)とのライバル関係を描いた小説。
関根は千葉県の宝珠花(現野田市)出身で、江戸時代に将軍家から扶持をいただく将棋家元の八代伊藤宗印及び十二代大橋宗金門下。三吉より2つ年上で将棋でははるか先を行く。大阪では負けなしの三吉を堺の賭け将棋大会で負かす。以後、三吉は関根を倒すことに執念を燃やす。
今のように将棋を新聞社が後援して棋士が生活していけるようになったのは昭和から。将棋は道楽。少年時代から丁稚奉公に出て下駄を作ってた三吉の妻子たちは相当に悲惨な生活。
意外だったのが昔の対局ってプロ同士でも香落ちとか角落ちとかハンデ戦が普通?!今と違って持ち時間は無制限?!名人位は終身!?明治大正の将棋の世界のことがよくわかる本。
織田作之助(1913-1947の「驟雨」(新潮1943年8月号)と「勝負師」(若草1943年10月号)
将棋の世界で孤立し16年も将棋から遠ざかっていた68歳の三吉は実力名人制のリーグ戦へ。
南禅寺で木村義雄八段との対局は木村の初手▲7六歩に対して坂田の2手目がなんと△9四歩という驚愕の奇策。こんな悪手では案の定アッサリ負けてしまった。一か月後の花田戦でも花田の初手▲7四歩に対して再び端歩の△1四歩。
藤沢桓夫(1904-1989)の「坂田三吉覚え書」(小説新潮1965年11月号)
貧しかった坂田三吉は文字が書けなかったし読めなかった。これでは電車の行き先も読めないし降りる駅も読めない。そして棋譜も読めない。社会生活を送るのにも将棋にもハンデがあった。「坂田」か「阪田」かで表記にも揺れ。
あとは、菊池寛、吉屋信子、北條秀司、吉田美代(三吉の娘)、内藤國雄らの短い文。






























