ダンテ・アリギエーリ(1265-1321)の「神曲 La Divina Commedia」は日本の中学生ですらもその名前は知ってるのだが、誰も読んだことあるという人を見たことがない。そろそろ読んでやろうかと考えていたころ、2年前の秋にキャンプに出かけた先でこいつを110円で見つけたので連れ帰った。そして、ミラノ・コルティナ冬季五輪のタイミングで開いて読み始めた。
野上素一(1910-2001、東大名誉教授、イタリア文学)訳著「ダンテ 神曲物語」(現代教養文庫618)版だ。1968年に初版で1990年46刷。
ボリューム的に抄訳かな?と思うのだが、どこにもその旨書いてない。
地獄篇、煉獄篇、天国篇のそれぞれが34、33、33篇から成る。この古い本もすべて掲載されているので神曲すべてなのかもしれない。
この本では「地獄篇」「浄罪篇」「天堂篇」というタイトルに訳されている。
トスカーナのフィレンツェ人ダンテくん35歳はなぜか生きたまま地獄見物。
ヴィルジリオ(ウェルギリウスと表記されるのが一般的)という老人の姿をした人物?(たぶん歴史上の偉人)に導かれて地獄をずんずん進む。
地獄で業火に焼かれている罪びとたちが、たぶん中世イタリアで知られた歴史上の偉人たち。そのほとんどがギリシャ・ローマ世界の偉人。もしくはその当時よく知られた欧州の王や貴族、ローマ法王など。
これはよほど世界史に精通した優秀な学生でなければ誰が誰なのかわからない。
地獄篇はまだ読める。「地獄八景亡者戯」のようなものかもしれない。それでも途中で飽きるのだが、自分の場合はダンテをムロツヨシに、ウェルギリウスを佐藤次朗に置き換え、福田雄一監督ならこう撮るだろうなとふざけた想像をしながら、なんとか乗り切った。
だが、煉獄篇と天国篇は誰もが現在地を見失う。まあ、丹波哲郎の「大霊界」みたいなものだろと高をくくっていた。ナメてた。
もうこれは誰もついていけない。ほぼ狂人の妄想ポエム。これをわかったように読める人がいるとすれば、13世紀14世紀イタリアの知識人たちの思想の専門家。
結果、ここ数年で読んだあらゆる本の中で、最も困惑した一冊。現代日本人がこの本を読む意味を見出せない。価値もわからない。














































