高原英理「不機嫌な姫とブルックナー団」を読む。この本は2016年に講談社より刊行。ブルックナー生誕200年の今年に初文庫化。
タイトルからどんな話なのかまるで想像できないが、中高年男性クラオタに多いブルオタをテーマにした小説か?
ヒロインゆたき32歳は苦心して手に入れたチケットでブルックナーのコンサート。なんと女性なのにブルオタ(本人は否定)。
隣の席のブルオタ挙動不審男から好奇の対象。視線を合わせてこないのに話しかけてくる。「女なのにブルックナー聴くなんてめずらしい」という雰囲気。
以後、マックでブルックナー団(オタクグループ)とよく見かけるブルックナー談義w
この本に書かれている現在の日本でのブルックナーへの評価がすごく思い当たる。
自分もCD時代以降のマーラー・ブルックナー世代。すでに多くの録音がありコンサートのレパートリーになってる状態で、「ブルックナーとはどんなもんか」と聴き始めたクチ。
18歳ごろから今に至るまで、やっぱりブルックナーは特殊なジャンル。正直今も「……。」となる。あまり音楽の楽しさ面白さを感じない。世界の名だたる巨匠名匠スター指揮者が取り上げるので仕方なく聴いていた感じ。
いや、ぜんぜん聴いてない。1番から9番、ミサ曲、テデウム、いくつかの断片的なやつはたいてい聴いて2巡目3巡目といった感じ。0番はまだ一度も聴いたことない。
「ブルックナーマニア度認定テスト」に笑った。自分はひとつも当てはまらなかった。
日本でクラシックコンサートに行く人は上流階級というわけでもないが、確実にある程度以上の教養がある人。(サッカー野球観戦と同じぐらいの費用がかかる。海外からやってくる一流オケは1万円以上払える客。)
この本に登場するヒロインは英米文学専攻の非正規図書館員。ヒロインはピアノが弾けるが、ブルックナー団は普通の労働者階級。音楽教育を受けたこともないし楽譜も読めない。だが、CDで聴ける様々なジャンルの音楽からなぜかブルックナーを選んでそればかり聴いてる人々。
そんなブルオタたちのことを想いながら読み進める。途中から「格好悪い大作曲家」ブルックナーのエピソードを小説形式で読む。これはアンリ・ルソーという生前は認められなかった画家を描いた原田マハ「楽園のカンバス」を想い出す。
いや知らないことばかり。田舎者おじさんで女学生から下品だと嫌われ、セクハラ告発されるとか悲しいw 憧れのワーグナーと対面するシーンも悲哀を感じた。ブルオタの敵はハンスリック団?!
ワーグナーに褒めてもらえた交響曲第3番のウィーン初演が読んでいて悲しい。当時のウィーンではブラームスが尊敬され、ハンスリックという悪辣評論家がいた。ウィーン楽壇の人々がブルックナーをバカにしてる感じが酷い。ウィーン・フィル楽団員のプライドの高さとテキトーやっつけ仕事演奏会は悲劇のクライマックス。ブルックナーの長大で意味不明な音楽は演奏拒否にあう。焦燥と困惑。哀れで読んでられない。
しかし、ダサくて気が弱いブルックナーを慕う弟子たちは偉い。マーラーはブルックナーを尊敬し演奏会でも指揮。自分のようにあまり面白みを感じない人がいる一方で、熱烈なファンを獲得。
ブルックナーが酷評されていた時代から楽曲の価値を見抜いていた人がいるから今の評価がある。
いや、この本はとても面白かった。ブルックナーという長年避けていた作曲家が身近に感じられた。
今年はブルックナー生誕200年。じつは今年は人生で一番ブルックナーを聴いていた。歴史本やSFを読むとき、うっすら流しておいた。嫌いだった第5番ですら「あ、聴ける」って感じ始めた。