2025年3月14日金曜日

世界の終わりという名の雑貨店(2001)

2001年公開の映画「世界の終わりという名の雑貨店」を見る。原作は嶽本野ばらによる同名短篇。監督は濱田樹石。脚本は濱田監督と鷲見剛一。主演は西島秀俊高橋マリ子。配給は松竹。

この映画、公開時に渋谷だったかで見てる。その数年後にDVDを買った。久しぶりに実家に帰ったときに部屋から掘り出して持ってきた。たぶん15年ぶりぐらいに見た。
この映画の雰囲気がとても好き。
フィルムで撮ってる。映像もカットも写真のようで好き。4:3の画角で撮ってる。
主演の西島秀俊が30歳ごろ。とても若い。50代の今現在も活躍中なので多くの人がよく知ってる俳優。
だが、ヒロイン役の高橋マリ子を今も知っているという若者は少ない。2000年代前半は雑誌にテレビCMによく見かけたハーフ美少女モデルだった。

たしか、上戸彩主演「アテンション・プリーズ」第1話までは出演していたのだが、その日を最後に急にテレビから姿を消した。化粧品などのテレビCMには変わらず出演していたのだが、だんだんと露出が減っていった。なんで?今も大きな疑問。今はおそらく40歳になっているはず。

フリーライター青年雄高(西島)が年下でしっかりした情報誌の先輩女子記者の指示で映画撮影現場や飲食店の取材の日々の。つねに白昼夢をみているようで現実感を感じられず社会に溶け込めていない。日記のようなものを小型のテープレコーダーに吹き込んでる。
そして16歳女子高生胡摩(高橋マリ子)は家庭にも教室にも居場所がない。いつも手紙のようなものを取り出して読んでいるが、それは自分で自分に書いたもの?!

クラスメートではあかね(派谷恵美)とは仲良く接しているのだが、いずみ(加藤夏希)に対しては苦手らしくお互いに気まずい関係。加藤夏希も高橋マリ子に対して苦手どころか嫌悪。
美術教師(清水ゆみ)が若くて美人なので生徒たちから人気。この人がとても可愛らしい。声質もかわいらしい。

このクラスメートたち4人組が全員長身。ミニスカート制服から見える絶対領域がとにかく長い。そんな足をナメ回すようにカメラが撮る。
この4人の様子の撮り方がとてもユニークだし面白い。ときどきモデルのようなポージングを決める。
西島秀俊はアパートのオーナー石川(今福将雄)から、家賃はタダでいいから部屋で「世界の終わり」という名の古雑貨屋を始める。ここがこの男の居場所になる。
このアパートに名古屋章さんがいる。自分がこのベテラン俳優を認識したのはもっと昔だが、この映画がほぼ最後の記憶。

ぼんやり青年は日々の糧を稼ぐという気はない。1日に数名の客。1日の売り上げが50円?!
このロケ地が当時江東区佐賀町にあった佐賀町ビルだ。多くのドラマのロケ地に使われている。道を挟んで向かいにこれもかつて撮影などで使われた食料ビルだ。いずれも現存していないが、佐賀町ビルはその姿を変えて新しい佐賀町ビルとなっている。

雄高が頼んでもいないのに雑誌に掲載されたために、記事を見た女子高生たちが雑貨店にやってくる。しかし、気に入られなかったために一見限りの客。
そして胡摩は一目見て夢中になれる衣服の店を見つけ、心躍る衣服を身に着け、「世界の終わり」へとやってくる。ここがヒロインの居場所となる。蝋燭の明かりだけの薄暗い店でコーヒーを飲んだり、ソファーで昼寝したり、ほぼずっといるようになる。

ところが、 雄高くんは突然現実へと引き戻される。部屋の明かりがパッと点灯すると、そこにオーナーの息子。部屋を明け渡して出て行ってほしいと告げられる。
雄高くんは胡摩に「この店はもう終わり」と捨て鉢に告げる。胡摩「ここしか居場所のない私はどうすれば?」と涙目。
この映画、雄高と胡摩のふたりを描く一方で、胡摩のクラスメート4人のサイドも描く。なぜかポニーテール美少女あかねは三番瀬という場所に興味を抱く。そこには一体何があるのか?(あかね役の加藤夏希はゼロ年代初頭にとても人気のあったアイドル女優だった)
「こんにちは!」と叫びながら猟銃をこちらに向けて迫って来るなど、ほぼ不穏で気の狂ったような所業。

雪の降る日、雑貨店で唯一残されたポストカードの撮られた場所を探し求めて、雄高と胡摩の二人は旅へ出る。
二人の乗った夜汽車がなぜかまるで「銀河鉄道の夜」のような年代物車両。
二人は当てもなくさ迷い歩き、やがて湖畔の飲食店や廃校へとたどり着く。
その様子を胡摩の父が雇った探偵(松尾スズキ)が観察しマークしてる。自分が松尾スズキという演劇人を初めて認識したのはこの映画だった。初登場シーンから何か詩の朗読をしてるかのような台詞。

そして二人の旅は突然終わる。二人とも再び現実へと引き戻される。
あ、山の中で突然現れる少女、「TRICK」1stシーズン「ミラクル三井」回にも出演した「安室奈美恵とウーパールーパーを足して二で割ったような少女」だった長澤瞳だ。

この映画、ひたすら詩情と雰囲気のアート映画と言えるかもしれない。自分は初めて見たときからこの映画は強いインパクトを受けた。とても不思議でヘンテコだが深い余韻と味わい。結果、今も好き。

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