小林照幸「死の貝」(1998 文芸春秋)を読む。これ、最近になって新潮文庫化されたらしい。
この著者は明治薬科大を卒業後に著述業に転じたらしい。なんとこの本を刊行したのは著者30歳の時。すごい。
自分、日本住血吸虫という存在を知ったのはごく最近。全然知らなかった。だって学校で教えてないんだから仕方ない。
甲府盆地では古来から農民を中心に「水腫腸満」とよばれる原因不明の病があった。腹に水が溜まって膨れ、手足はやせ細り、肌は黄色くなり、意識が混濁し死んでいく…。
その病気の最古の記録は「甲陽軍鑑」にある。武田勝頼の足軽大将・小幡豊後守が「水腫腸満」でもはや歩くこともできず仕えることができないと涙の訴え。
備後国の漢方医・藤井好直は文化年間に「神辺」の川南村で「片山病」について書き記す。
水田に手足をつけていると皮膚がかぶれて赤くなり痛痒を生じることから始まる。牛や馬にも似た症状が出る。この時代は効果のない妙薬などを煎じて飲ませる以外に何も治療ができない。
明治になると徴兵検査で甲府盆地に体格不良者が多く見られることが発覚。成年男子なのにまるで10歳児。これは飲料水のせいだろうか?便を検査すると寄生虫の卵があるが、十二指腸虫か?
西山梨郡清田村の杉山なかという50代農婦が「水腫腸満」で死期が近い。この時代には異例なことだが自ら死後に解剖を願い出る。
肥大した肝臓内部に虫卵を発見。肝臓ジストマか?これまで確認された卵とは異なっているので新種か?ここから事態が動き始めたと考えると、この女性の死と解剖願いは無駄じゃなかった。
てっきり山梨県の笛吹川と釜無川流域だけの風土病だと勘違いしてた。広島でも片山病としてたくさんの犠牲者を出していたし、福岡・佐賀の間の筑後川流域でも発生してた。あと、中国・フィリピンでも多くの死者を出していた。
感染経路は経口か経皮か?実験の結果、経皮感染と判明。皮膚をかぶれさせて体内に侵入してる…。
卵を孵化させた幼虫ミラシジウムが泳ぐ水に、ハツカネズミをひたしても感染しない。これは、ヒトやネズミに侵入できる個体セルカリアへと成長させる何か中間宿主がいるはず。
中間宿主探しが難航。しかし、九州帝国大の宮入慶之介が筑後川支流の下流域集落の溝渠で1センチにも満たない巻貝が中間宿主であることを突き止めた!
その貝はミヤイリガイと名付けられた。あとはこの貝を駆除すれば感染は予防できる。この貝の発見によりアフリカで猛威を振るうビルハルツ住血吸虫とマンソン住血吸虫の中間宿主もマキガイであることも判明。
あとはひたすらミヤイリガイを駆除する歴史。生石灰を撒く。有病地の溝渠をコンクリート化する。戦後は米軍がPCPナトリウムを散布。有病地水田は果樹園にしてしまえ!
昔から多くの人々の命を奪ってきた日本住血吸虫は中間宿主ミヤイリガイを殺貝することによって患者と死亡者が激減。医学と科学の勝利。感動的だった。
日本住血吸虫症には治療法がないんだと思ってたのだが、スチブナールという中毒性の高い薬があったことを知った。後にプラジカンテルという薬もできた。
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