アーサー・C・クラークの「宇宙のランデヴー」全4巻を令和の今になってやっと読む気になった。
ちなみに第1作「宇宙のランデヴー」をハヤカワSF文庫新装版で読んでからすでに7年経っている。
もう忘れていることも多いので、今回はまず第1巻にあたる「宇宙のランデヴー RENDEZVOUS WITH RAMA 1973」を南山宏訳の1979年海外SFノヴェルズ判で読む。(文庫がどこかに埋もれてしまってる)
ラーマ内部探検の様子は覚えていたのだが、水星人がやらかす終盤は忘れていた。いろんな出来事の後、ラーマは何事もなかったかのように太陽系外へと旅立って行った。
スケールが壮大で自分の想像を超える。なので一部よくイメージできていない。
YOUTUBEに世界の愛読者がイメージ映像を作ってUPしてくれていたりする。自分のイメージしていたものとそれほど大差なかった。読書する上で、イメージを想像するのに多少は助けになった。
そして、アーサー・C・クラーク & ジェントリー・リー共作の「宇宙のランデヴー 2 RAMAⅡ」(1989)を山高昭訳1991年早川書房(初版)で読む。
クラーク氏がどうしてリー氏と共作するに至ったのかは巻末の著者あとがきで述べられている。そこはここでは触れない。
ちなみに自分はクラーク&リー共作第1作「星々の揺籃」も読んでいるのだが、クラークのそれ以前の作風文体と異なっていて戸惑った覚えがある。なのでこのシリーズ続編を手に取るのに気が乗らなかった。
この続編もやはり「星々の揺籃」みたいだった。表紙イラストがちょっとダサい。
70年の後、ラーマ2が太陽系にやってくる。それまでに地球であったできごとがとても細かい。22世紀になっても人類には雇用や経済不況の問題があるのかよ。ラーマへ宇宙船を派遣して内部を調査するのに費用と効果と納税者のことを気にするのかよ。そこはリアルかもしれない。
前半がずっと宇宙飛行士たちの細かい人格と設定。いや細かすぎるし長すぎる。もしかしてラーマは二の次でこの人々の群像劇なんじゃないかと疑ってしまった。
メンバー選定の段階で人間関係がギスギス?!宇宙飛行士の選考って、あらゆることが考慮されるのでは?勝手なことをやる性格の人ははじかれるのでは?
この本では日本人が登場する。80年代末の英米では日本の存在感が大きかったためもあるんだろうと感じた。
タカギシやヤマナカといった名前は違和感ないのだが、「ハカマツ」とは?
それに、「禅」要素とかあって、ああ、やっぱり西洋人のイメージする日本人なんだなと。
だが、半分以後は面白くなってくれた。第1作で巨大円筒ラーマは未知すぎて謎過ぎて、調査する側にとっては海と都市と蟹でしかない、無害な雄大な自然のようなものだった。
だが、ラーマ第2弾にはラーマの驚異と恐怖もある。なにせ調査隊から死者も出している。なんだかエイリアンみたいな展開か?!と身構えた。
女医がラーマに取り残され決死のサバイバル。後にリチャードが合流。そこにはなんと巨大な翼竜。メロンのような食料で食いつなぐ。それより、なんで救出隊がやってこないんだ?
救助隊が来た!と思ったら、過去のラーマ探検隊の亡霊のような映像。ラーマ2はラーマ1が経験観測したデータをラーマ2に伝達送信していたのか?
地球へと軌道を変えたラーマを脅威とみなして核ミサイルを撃ち込んできた。ラーマ内部に残された3人の運命やいかに?!(軍隊だからといってやってることが非情だろ)
とにかく長い長い第2巻だった。未知すぎて恐ろしくもあり、自分の想像力も超えたのだが、読んでいてそれなりに面白かったと感じた。次作へのふくみを持たせて終わる。なので第3巻も読まないといけない。
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