川端康成「川のある下町の話」を読む。平山郁夫カバーの新潮文庫版(昭和33年)で読む。「婦人画報」昭和28年1月号から12月号に連載されたもの。
自分、川端は「伊豆の踊子」「雪国」ぐらいしか読んだことない。この一冊も存在をまったく知らなかった。知らない本だからこそ読む。
N町の病院でインタアン勤めの医学生達三(23)は眉目秀麗の色男。実家は父を亡くして母一人に兄夫婦だが、伯父が大病院の院長で学費を支援。娘の桃子といずれはいっしょに…という恵まれすぎ男。反感と嫌悪感しかない。
だが、この青年がとてつもなく真面目で爽やか。川で溺れた幼児を助ける。
この子には姉ふさ子がいた。焼け跡のお屋敷に小屋を建てて暮らしてたのだが、母が死ぬ。まだ子どもといっていい娘、その弟(たぶん行きずりの父の子)が取り残される。昭和20年代は生活保護を国家保護と呼んだ?だが、姉と弟の貧しい二人暮らし。弟は肺炎が手遅れとなり死んでしまう。
しかもその住まいが伯父の病院建設地。本来であれば支払う必要のない立退料を受け取って、ふさ子はどこかへ。達三はふさ子の美しい目が忘れられない。ふさ子は誰が見てもすごい美少女らしい。
達三の同級で同じインタアンの民子も聡明美人っぽい。密かに達三のことが好きだが、達三のふさ子への想いを知っている。よき友に徹する。
ふさ子はパチンコ屋の2階で住み込みで働く。弟の遺骨を置いておくのはおかみさんから嫌がられる。隣近所に住んでいた女の子ともだちが今は福生のキャバレーにいるので訪ねる。自分はわりと福生に詳しいのだが、進駐軍相手のキャバレーが現在のどのあたりにあったのか不明。
物語の舞台をN町と書いておきながら、福生と立川だけは具体的地名を書いている。なんで?ひょっとすると川端は福生に来て取材はしていない?
パチンコ屋が不良のたまり場で環境が悪い。夫人が泊りで外出し不良息子と夜二人きりになるので心配。ふさ子は達三の住む下宿へ。
達三は数日ふさ子を預かる。同じ部屋で異性と一緒に一夜を過ごすのは初めて。もちろんお互いなにもない。
この小説、1人の男に3人の女の話だが、ずっと川端康成の優しく暖かい人間性が伝わってくる。主人公達三の性格がよい。優しさゆえの悩み。
ふさ子のけなげさ、民子の頼りがいのある優しさ、そして器量は劣るにしても育ちの良い女学生桃子(達三のいとこ)もみんな人間性が良い。貧しく人の命がはかない終戦直後の日本にしても、切ないなりにほっとできる暖かい小説。
だがしかし、ふさ子は立退料25000円を入れた紙入れを達三に託していたのだが、ちょっと洗濯場に行って戻ってきた短い間に泥棒に盗まれる。下宿のおばさんも下宿人でない者がそんな大金を盗まれたことに半信半疑。全財産を失ったふさ子は姿を消す。戻った達三は盗まれた本人不在では警察に届けることもできない…。
だが、読者はこの金を盗んだやつが見えている。犯人は達三に金を借りにきた同じ医学生にきまってる。達三はインタアン先が変わったばかりで国家試験で忙しいにしても、なんであいつを疑わない?ちょっと調査すれば犯人を追い詰められるだろ。ここ、読んでいてすごくイライラするしストレス。パチンコ屋の女主人もわりと薄情。
ふさ子は友人をたよって福生のキャバレーでダンサーとして働いていた。ここのボーイ達吉が達三にそっくりの不良美少年。
だが、米兵に拉致されそうになったふさ子を助けようとして頭部に傷。そして破傷風。ふさ子が懸命に看病するもやがて死亡。ああ、自分の身近にいる人間はみんな死んでしまう。ふさ子は絶望。心を病んで有り金で立川までの切符を買い、立川から東京めざしてさ迷う。
お屋敷からピアノの音が聴こえる。やさしかった桃子のことを思い出す。中華料理屋で桃子から受けたやさしさが忘れられない。その家を桃子の家だと思い込んでしまう。「きちがい」の浮浪児だと思われる。だが、その家のかかりつけ医が民子だった。運命のめぐりあわせ。
そして悲しい最悪バッドエンド。これは切ないというより鬱小説。身寄りも無く貧しい少女が路頭に迷った憐れな末路…。
川端の文体がとても平易。これは中高生にも十分に理解できるし読みやすい。オススメする。大学生までに読んでおくべき。遠藤周作「私が棄てた女」の読後のような苦い後味の残る哀しみ。
読んでいて、これは映画やドラマの原作に向いていると考えていた。調べてみたら50年代に映画化されていた。
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