自分、ブログ始めるより以前にヨーロッパをリュック背負って貧乏旅行したとき、トリノにある聖骸布がある教会を見に行った。その実物は見れないというのに。それがある教会というだけで。それぐらいこのテーマには関心が高い。
だが、キリスト聖遺物の超大物「ロンギヌスの槍」についてはそれほど知識がない。こういう番組はありがたい。録画してしっかり見た。
ゴルゴダの丘でイエスが十字架にかけられたとき、ローマ兵がイエスの脇腹を槍で刺した。そのことは「ヨハネによる福音書」第19章に書いてある。
だが、そのローマ兵が「ロンギヌス」で、「槍を伝う血」が眼に入り、「目が治癒」したことは書かれていない。いったいいつからそんな要素が加わったのか?
番組は解答を示した。13世紀ジェノバで出版された本が最初。ジェノバ大司教ヤコブス・デ・ウォラギネが記したキリスト教の聖人列伝「レゲンダ・アウレア」に第47章「聖ロンギヌス」というページがある。
ここで初めて、ロンギヌスがイエスを刺した槍から血が伝わってきて目にはいって目が治癒したというエピソードが書き加えられた。なんとこれが完全に盛ってる二次創作?!
これが感動的エピソードだったために、インスパイアされた画家たちがこの場面を描いた。結果、ロンギヌスのエピソードがあたかも事実かのように定着。
つまり、ロンギヌスの聖槍というエピソードは13世紀を遡れない。え、えぇぇ…。
ウィーン・ホーフブルク宮殿宝物殿所蔵の、ハプスブルク家に伝わるロンギヌスの聖槍「運命の槍」は、かつてコンスタンティヌス帝が手にし312年の異教徒との戦いに勝利。以後、カール大帝、オットー1世、フリードリヒ1世と代々伝わってきた。18世紀末にはナポレオンが狙い、ヒトラーの野望にも一役買った…とされていた。
だが、ウィーン工科大学の科学的調査で8世紀を遡れないものだと判定。ええぇ…。
でもなんとなくそんな感じがしてたw トリノ聖骸布も中世になって突然現れたものだし。キリストの聖遺物ってみんなそんな感じ。仏舎利と呼ばれる釈迦の骨も本物かどうか。
そしてホーリーチャリスと呼ばれる聖杯。マルコ伝第14章にイエスが弟子たちに「私の血である」として手渡し飲ませたものと書かれているのだが、聖杯について詳しい記述が何もない。
今日、ニューヨークメトロポリタン美術館所蔵のホーリーチャリスは銀製、バレンシア大聖堂に伝わるものはメノウ製、ジェノバ大聖堂に伝わるものはガラス製大皿と、それぞれ形状も材質もまちまち。たぶんどれも中世以降に突如出現したものに違いない。
どの聖杯にも「願いを叶える」というような逸話は存在しない。どうやら聖杯伝説は、「アーサー王と円卓の騎士」や、ケルトの伝説が二次創作でごちゃまぜになって形成されていったものだったらしい。
この番組では最後に「死海文書」にも触れた。1960年代に一気に解読が進んだのに、70年代80年代に大きく停滞したのはバチカンの陰謀?!きっとバチカンにとって好ましくない事実が書かれていたに違いない…。だが、これもデジタル化によって研究がほぼ完了した現在、バチカンの陰謀なんかまったく存在しなかったことが判明。
子どものころからワクワクさせられた「聖槍」「聖杯」「死海文書」どれもその神秘性が失われつつある。
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