有島武郎「惜みなく愛は奪う」(大正9年)を新潮文庫で読む。昭和30年に最初の文庫版が出て昭和43年第25刷から改版。自分が読んだものは平成10年69刷。
有島武郎(1878-1923)を読むのは2冊目。とにかくタイトルが魅力的。自分はてっきり小説だと思って手に取ったのだが、実存主義的な思想書だった。
まるで明治時代の苦悩する学生が一心不乱にノートにびっしり書き込んだような本。自己を偽善者と批判し反省し読者に改宗を迫るかのよう。読んでる最中に「まるで遺書だな」と思っていた。有島は3年後に心中自殺してる…。
ボリュームとしてはわりと薄い本なのだが、意味を考えながら読むとすごく時間がかかる。この本を現代文問題として出題されたら高校生の自分はさぞ困ったことだろうなと思った。
そのすべてが名文のよう。どのページからどの行を抜き出しても名文に聴こえる。
自分はすべてを納得して感心して読んだわけでもないのだが、大正9年の段階で日本において、
「子供は子供自身の為に教育されなければならない。」
「社会の為に子供を教育する。それは驚くべく悲しむべき錯誤である。」
「仕事に勤勉になれと教える。何故正しき仕事を選べと教えないのか。正しい仕事を選びえたものは懶惰であることが出来ないのだ。」
「私は父である。そして父である体験から明らかにいおう。私は子供に感謝するべきものをこそ持っておれ、子供から感謝されるべき何物をも持ってはいない。」
「私が子供に対して払った犠牲らしく見えるものは、子供の愛によって酬いられてなお余りがある。」
という一箇所は、平成令和の経団連より進んだ考えだと感じた。札幌農学校に学んだ作者ならではかもしれないが。
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