2020年3月8日日曜日

宮本常一「イザベラ・バードの旅」

宮本常一「イザベラ・バードの旅」(2014年 講談社学術文庫)を読む。

宮本常一(1907-1981)が昭和51年~52年に日本観光文化研究所で行ったイザベラ・バード「日本奥地紀行」を解説する講義を1冊にまとめたもの。
明治期イギリス人女性旅行家の目で見たなにげない記述から当時の人々(とくに東北の田舎)の暮らしや習慣を読み取り、フィールドワークから得た知識を教えてくれる一冊。

自分はすでに「日本奥地紀行」を読んでいるのでこの本がよく理解できた。バードが旅した明治11年の東日本を宮本氏が解説してくれる。当時に書かれた他の外国人の著作との比較などから当時の日本を教えてくれる。たとえ話で当時話題の中心だったロッキード事件や田中角栄が出てきたりする。

幕末明治期に来日した外国人のほとんどが日本人の下駄の音に驚いている。当時の日本(とくに東日本)では衣服の布が貴重なために夏は裸で過ごすことが多かったらしい。子どもは全裸で過ごしていることが普通。漁民の多くが全身に入れ墨をしているのは服を着なかったためもあるらしい。

「日本奥地紀行」でバードさんはどこへ行っても蚤に苦しめられている。蚤に刺され皮膚が化膿している人々の描写が多い。
宮本氏によれば日本は戦後にGHQが各地でDDTを散布するまで、田舎はとにかく蚤が大量にいたらしい。それ、今からするとちょっと考えられない。芭蕉の「奥の細道」でも蚤に苦しめられた記述がとくにない。江戸明治以前の日本人にとって蚤はそこにたくさんいてあたりまえの存在だったらしい。

当時の田舎の人々が不潔だったために、皮膚病を患っていた人が多かったのは致し方ない。宮本先生によれば東北の隅々まで風呂釜(主に広島で生産)が行き渡っていったのは戦後のことらしい。
あと、仙台盛岡あたりの人が西瓜を食べるようになったのは東北本線が開通し関東から輸送されるようになってから?
その時代を生きて歩いて見て回った宮本先生ならではの知識の数々を初めて知る。

明治初年の日本には立派な馬が皆無。江戸期にアラブ馬が持ち込まれだんだんと改良され大型化していったらしい。なので戦国時代や江戸時代を描くドラマでは馬は人間の背丈よりも低い驢馬のようなものとして描かれないと時代考証的に正しくない。

バードさんは誠実な日本人を褒めている。とくに人力車夫たちを誠実だと高く評価している。この時代の外国人による文献で車夫を罵る記述はほとんどないらしい。駕籠かきと違い車夫は礼儀をわきまえた人が多かったらしい。

きゅうりが大事な食糧という村がある。昔の人びとには偏食という概念がなかったらしい。明治初年の軍隊では脚気で死ぬ人が多かった。

あと、地方都市でも役所や裁判所は立派な建物だがハリボテ。そこにいる官吏や事務員がヒマそう。明治の官僚組織は武家社会をそのまま移行したもの。ただただ書類を作成し多くの人にハンコを押してもらって回ってるだけ。戦後来日した外国人も日本人が机に向かって仕事のフリしてるけど実はほとんど働いてないことを知っていた。このしくみは会社組織にコンピューターが行き渡るまで続く。

あと、日本人の地理感覚がおかしい。隣村へ行く道は知っていても、そこから先の日本のことは何も知らない。明治までろくな道路がなかったので致し方ない。

バードさんは嫌いだったみたいだけど三味線は日本人の魂の楽器。琉球から下北半島の隅々まで分布。宮本氏が三味線、盲人、漁場と性病について語ってる箇所に驚いた。

バードさんの本がアイヌに多くのページを割いていたように、宮本先生もアイヌについて詳しく語る。
日本の歴史において毒殺は稀だが、アイヌは毒矢を用いたらしい。落とし穴の遺跡が一番多く見つかっているのは北海道?!
武田信玄は川中島で毒矢を扱うアイヌ人を用いたと、しれっと語ってる箇所にも驚いた。アイヌ人の大事な主食のひとつが黍だった?!

あと、バードさんの従者だった伊藤が勉強熱心だったのに後世に名を残していない点にも触れている。それは伊藤以外の多くの日本人も勉強熱心だったから?

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