2017年8月28日月曜日

司馬遼太郎 街道をゆく18「越前の諸道」(1982)

司馬遼太郎の「街道をゆく」シリーズも今後すこしずつ読み進めていこうと決意し、今度は「越前の諸道」を手に取った。朝日文芸文庫1987年版の1998年第12刷。

とくに越前の歴史に関心があったということでもなく、ただ電車で読むための本が欲しくて。108円で購入。司馬遼太郎先生の歴史ばなしを聴くことは楽しい。

「越前の諸道」は週刊朝日に1980年12月12日号から81年6月19日号まで連載されたぶんを単行本にしたもの。エッセイ紀行文なのだが、司馬先生が旅した当時と今ではもう風景も人々もだいぶ変わった。この時代はまだまだ明治時代生まれの人が生き残っていた。

この本で一番ページを割いているのは道元とその弟子・寂円。そして永平寺
「道元は日本思想上、もっとも魅力のある存在だが、しかしその死後、その教団は、ほとんど家風のように、論争と分派をくりかえした。逆にいえば、道元の思想に魅力がありすぎたためともいえる。」
とめどなく脱線しつつ、ざっくり魅力的な、誰かに教えたくなるワンフレーズ名言でトドメを刺すように教えてくれるw 

そして白山信仰。司馬先生はたとえば本地垂迹
「ある時代から、単に神というより権現や明神と称するほうが、普遍的価値が匂って、なにやらモダニズムが感ぜられるようになった。」 
「このことは、日本人が経営して日本人の女の子がいる銀座のバーが屋号だけフランス語であったりすることと、心理的には一つの根であるかと思える。」
いやあ、わかりやすいw 古代、中世、近世、そして現代、「へえ」という話をしてくれる。

平泉寺という存在はこの本を見るまで知らなかった。自分は中学生のころとか織田信長が比叡山とか石山本願寺とか一向宗とかの僧侶を焼き討ちにして皆殺しにしたことを酷いと憤っていたのだが、自分のイメージしていた僧侶と違ってたw 司馬遼太郎はこの時代の僧兵をこき下ろす。平泉寺は農民たちによって焼き討ちされていた。

日本人なら誰でも司馬遼太郎の白髪おかっぱメガネ写真を一度は見たことがあるかとおもうのだが、1980年ごろはまだそれほど有名じゃなかった?! 司馬先生と旅の一行はたまたま一見で入った寿司屋で、主人とおかみさんからうさんくさく見られて支払いを心配された?w

あと、司馬先生は17歳ごろから白髪が多かったそうだw そして37歳から老眼が始まったそうだw

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