2010年10月10日日曜日

YUI / It's happy lineリリース時のインタビュー

 YUIファンなら誰でも知っていると思うが、YUIはSony Musicから「feel my soul」をリリースする以前に「It's happy line」を九州地区限定&ネット販売でインディーズで出している。このCDは持っているとしたら相当なお宝だが同一音源はアルバムに収録されているので自分は全然ほしいと思わない。

すっかり忘れていたがPATiPATi 2005年2月号がメジャーデビューを目前にしたYUIにインディーズ・デビュー2作についてインタビューをしていた。その名も……

17歳の天使、現わる。 だ。

PATiPATiはソニー・マガジンズなのでイチオシの新人プロモーションの一環だったといえばそうだが、これは自分がYUIについていろいろ調べ始めてわかったことだが、この天才少女を多くの関係者が大プッシュしていたのだ。以下インタビューを引用 インタビュアーは前原雅子
福岡からたったひとりで上京し、歌だけを支えに生きる17歳の女の子、YUI。繊細な心から生まれるメロディーと、心地よく耳になじむウィスパー・ボイスはまさに天性のもの。2005年、注目度N0.1アーティストの登場です!!
昨年3月、ソニーグループのオーディションでズバ抜けた高評価を獲得。今年、間違いなくプイクするだろうアーティストとして、早くも各方面から注目を浴びているYUIが、メジャー・デビューに先駆け、昨年末にはシングル「It's happy line」でインディーズデビューを果たした。というわけでそんな大型新人YUIのプロフィール&インディー・デビュー作について一部引用。


小さいときから歌は好きでした?
好きでした。どこにいても歌ってたみたいで、よくお母さんに「うるさい!」って怒られてました。
活発な子供だったんですか?
はい、とりあえず走り回ってる子でした(笑)。外で遊ぶのが好きで、家の中では編み物とかビーズで何か作ったりするのが好きでしたね。でも人付き合いは苦手で。伝えたいことがあっても、うまく伝えられないし、言えないし。だから日記を書くようになったというか。15歳のときから毎日書いてるんですけど、言えなかった気持ちを日記に書くとスッキリして眠れる、という感じでしたね。で、そのうちいろいろ考えたり、心が揺らいだりしたことは詩にするようになって。
詩を書くようになったころには、もうブロを目指し始めていたり?
中学3年のとき、初めて歌を本気でやりたいと思って。オーディションを受けることとか、考え始めたんです。それで高校には行かずに働いて音楽をやるぞ、と思ったんですけど、周りから、そんなの無理って言われて。私自身、当時は不安ばかりで何も決めきれなかったのもあって、そのときは高校に進んだんです。高校に行けば、いろんな人と出会えるんじゃないかっていう気持ちもあったりして。だけど高校に行くようになったら、音楽に費やす時間がほとんどなくなってしまって。
それはなぜだったんです?
バイトとかしてたんで。もう生活することに必死で、いっぱいいっぱいで。で、思ったんです、自分の人生に音楽の道はないっていうことにしようって。
歌や音楽がすごく好きだったのに?
私、何にしても、「やるか」「やらないか」なんですよ。だから中途半端な状態でいるのって、すべてに悪い影響が出るような気がして。それで悲しくてもあきらめたほうがいいと思ったんです。でもバイトとかの無理がたたって入院しなきゃいけなくなって、そこでゆっくり考える時間が持てたら、もう歌に対する気持ちがブワーッと出てきて。私は音楽をやりたいんだって、本当の意味でちゃんと位置づけできたんです。
そして地元の音楽塾に通い始めて?
そうです。結局、音楽をやると決めた段階で高校はやめて。でも何をどうすればいいのかわからずにいたとき、知人に音楽塾のことを教えられて。そこでギターと作曲と作詞を学び始めたんです。
ようやく自分の居場所を見つけた、という感じだったんじゃないですか?
はい。ただ、そこでも一時期ギターを触れなくなったときがあって。
ホッとひと息ついたのもつかの間で。
ホントにそうで。音楽的に悩んで、歌も歌えなくなってしまったんですね。自分の歌を追求してきたつもりだったけど、私はその方向に走れてないんじゃないか、自分のスタイルを作れてないんじゃないか、と思っちゃって。衝動より形を整えることを重視するような曲の作り方をしてないだろうかって。で、悩んで悩んで葛藤して、「やっぱり私は歌いたい」っていう想いが見つかるまで悩んだというか。
悩むときも、とことん考えないと納得できないタイプ?
たぶん(笑)。本当に不器用なんで、中間がないんですね。だからそのときも、音楽がないと意味がないんだろうな、音楽なしに生きていってもつまらないんだろうなってとこまで考え込んでしまって。
でも逆に言うと、自分にとって音楽がどういうものなのかを、そこでハッキリと確認できたともいえますね。
そうだと思います。音楽にかかわってないと、生きていけないんだろうなって。
それでオーディションを受けてみることにしたんですか?
そうですね。まず親を説得するためっていうのがあって。受かれば、親も音楽の道に進むのを認めてくれるだろうと思ったから。あとは自分の才能を見極めたいって気持ちもありました。才能がなければあきらめもつくなって。
オーディションで歌ったときはどうでした?やっぱり緊張しました?
もちろんちょっと緊張はあったと思うんですけど、あんまりそういうことに縛られなかったというか。人に見られてるとか、うまく歌おうとか、そういうことじゃなくて、私が心を込めて歌うことが大事なんだって思ってたから。やるんなら堂々と行けというか、思い切って歌えというか、そんな気持ちでしたね。
肝っ玉、据わってるんですね?(笑)
うーん………もしかしたら本番に強いのかもしれません(笑)。でも音楽を始めたばかりの、これで飯を食ってくんだって格好つけたことを言ってたころだったら、ちょっと違ったかもしれないです。でも今は音楽って自分が生きていくことなんで。飯を食えなくてもやっていくことだと思うので。
その覚悟ができていたから、オーディションでも動じなかったんでしょうね。で、そのとき歌ったのが今回の「It's happy line」だとか。
はい。この曲と「Why me」という曲を歌って。ひとり2曲って決まってたんですけど、「これも聴いてほしい」って言って、今回カップリング曲に入ってる「I know」も1番だけ歌って怒られちゃいました(笑)。
「I know」はどうしても聴いてほしい曲だったんですか?
ちょうどそのころ作った曲だったので、そこまで聴いて私のことを見てほしかったんです。でもそのときはまだ歌詞も付いてなくて、でたらめ英語だったという。
-やっぱり度胸あるかもしれない(笑)。


そうですかね(笑)。


ところで今回のタイトル曲の「It's happy line」なんですが、こは先に歌いたいテーマがあって作っていった曲なんですか?
先にメロディーができたんで、その雰囲気に合わせつつ考えてたら。誰の為に生きているの?ってところが浮かんできて。そこから広げて書いていきました。音楽を始めて、いろんな人とかかわるようになると、自分を持ってないとって思う反面、自分に対する自信のなさが見えてくることもあって。だからその当時の自分の気持ちを整理しながら書いたというか。だけどまだ歌詞を書き始めて間もないころだったんで、こう言いたいのにメロディーにハマらないとか、この言葉の響きじゃダメだとか、すごく悩みつつ書いた詞で。歌詞を書くのはホントに難しです。気持ちを凝縮して、わかりやすい言葉で表現しないといけないので。
歌詞でいうと、カップリング曲の「I know」はまた全然違うタイプの詞ですね。
これはイメージがすごく濃いものだったんで、わりとスラスラ表現できたというか。ニュースでいろんなところで起きている争いごとを見て、戦争とかそういうことに関して考えてる時期に書いたものなんですけど。。“I know~”っていうところがメロディーと一緒に出てきたのでこの言葉にはすごく意味があるなと思って、それに続くものを買いてみたんです。
その2曲を今回、インディーズ・デビュー作としてレコーディングしたわけですけれど、ボーカル録りはスムーズに行きましたか?
だったと思います。緊張しないように心がけて歌ったんですけど、歌ってるときに、うまく歌おうとしても、うまく歌えないってことに気づいて。心がこもっていれば、メロディーもうまく表現できるし、結果いいものになるんだなって。
しかし、こうして第1作目が完成した今、どんな気持ちがします?
まだ全然ピンときてないです(笑)。もちろん自分の曲がこうして形になるって、スゴいことだと思うんですけど。ただあまりにいろんなことを経験してしまったので、消化できてないっていうか。
追い付くのが精いっぱい、みたいな。
去年って、3年分生きてるような1年だったので。何度も、もう手に負えないって思ったんですね。でもその都度大切なことが見つかって。今はそれをバネに、頑張るぞ、って感じです。

今回このインタビューを読み返してみて、これが17歳のときのインタビューであることに驚く。そして、SDオーディションでYUIが規定に反して3曲を歌ってしまった「I know」事件は「デタラメ英語」「YUI語」であったことが判明。そして、YUIは当初、高校へは行かないで音楽をやるつもりだったことも知ることができた。YUIってすごいよねえ。こういったとこが10代からの支持につながっているんだねえ。そして、作詞には苦しんでいる様子が伝わってくる。しかし、YUIって2004年から毎年が激動の年だったんだなあ。

1 件のコメント:

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    大変貴重なインタビュー掲載ありがとうございます。
    YUIさんのことを知りたかったので。
    ちなみに、
    揚げ足取るようで大変申し訳ないデスが
    2004年から激動じゃなくて、もっと幼いころから母子家庭で苦労して、高校にも通えない、入院してもう希望も絶たれた、っていう「毎日が激動」の中を必死で戦ってきたんだと、
    だから、オーディションでは上がるなんてことはなくて、今の自分を伝えなきゃっていうことができなんでは?
    「火事場のクソ力」というか「死ぬ気になってやれば人はなんだってできるもんだ」みたいな
    と勝手に思っちゃってます。すいません。
    以上です。

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