映画監督市川崑(1915-2008)生誕100年にあわせて新潮新書より2015年11月に出版された「市川崑と『犬神家の一族』」を読む。やっと読む。
著者の春日太一氏はまだ40代だというのに、まるで70歳ぐらい?と感じる程までに時代劇と日本映画に特化した膨大な知識を持っている。感心しかない。
本の裏の著者経歴を読むと、この人は「時代劇・映画史研究家」という肩書を名乗ってる。大学院でガチで時代劇映画を研究した人だった。
この本は三章に別れている。第1章が市川崑の映画監督人生。第2章は、「犬神家の一族」がなぜこれほどまでに面白いのか?その理由を市川のテクニックと脚本から分析し解説。第3章部が石坂浩二との対談。
どれもがとてもハイレベルで面白い。この人は語りが上手。活字であっても語り口が温和。
だが、吉永小百合さんについての「監督クラッシャー」という記述は敵をつくらないかと心配になったw しかし名監督たちが吉永小百合をどう撮ってきたのか?という見立てはわりと適格ではなかったか。
春日氏が日本映画を見始めた80年代の終りから90年代の初めころ、市川崑は巨匠の名にふさわしくない駄作を連発していた。春日氏も「キャリアの中でも決して褒められた出来とはいえない映画を撮っていた」と書いている。
自分も同じように感じていた。「天河伝説殺人事件」とセルフリメイク「犬神家の一族」、豊川悦司主演「八つ墓村」は、あの傑作シリーズを作った市川崑が同じような手法で撮ってるのに、ぜんぜん面白く感じなかった。
市川崑が都会的でスタイリッシュな傑作を撮っていたとき、傍らには和田夏十(わだなっと)というパートナーで脚本家がいた。そしてこの女性が市川にとって軍師ともいえる存在。
市川は頼まれた仕事は引き受けるタイプの監督。どう映画にすれば?という問題を和田に相談した。この女性脚本家の書く台本が観念を切り捨てた即物的なものだった。市川の都会的で突き放したような冷たい眼差しは和田との共作。
和田夏十が亡くなってから市川崑は迷走し始める。そのことを教えてくれたのは春日太一せんせいだった。
ヒッチコックはミステリーはサスペンス映画になりえないと考えていたらしい。それも春日先生から教わった。
そして、日本映画で唯一面白いミステリー映画になっているのが市川崑の金田一シリーズ。一体どうしてこれほどまでの奇跡を起こせたのか?春日太一の分析は読者をいちいち納得させる。
第3章で石坂浩二さんに金田一を撮影していたときのことを聞いている。石坂さんはインテリ俳優だし演出家だしナレーター。当時の事をすごくよく覚えている。市川監督と演技のことですごく真剣にやり合った。
市川監督は「犬神家の一族」の1本で終えるつもりだったのだが大ヒットしてしまい第2弾が決まった。「悪魔の手毬唄」で本当に最後のつもりが、さらに「獄門島」も撮ることになった。
第4作「女王蜂」は今度こそ最後のつもりだった。「火の鳥」の準備もあったので新東宝時代の盟友だった松林宗恵監督に協力を仰ぎ、重要なシーンを含め半分ぐらいを松林監督が撮影。それ、知らなかった。
市川監督は坂口良子をとても気に入っていた。「悪魔の手毬唄」に坂口良子が出演できないことをとても残念がっていた。自分もなんで坂口良子が出てないんだよ?って思ってた。
市川金田一におけるスタッフ出演についての石坂さんの証言。「悪魔の手毬唄」にブンちゃんという照明スタッフが「ねえちゃん、水がお湯だよ」というNGを出してしまい撮り直したのだがNGのほうが使われたとある。え、そんなシーンあった?と思い見返したのだが、そのシーンはなかった。ここ、石坂さんのカン違い?だとしても、校閲でそういうの正さないのか?
この本は市川崑と石坂浩二の金田一シリーズが大好きな人には絶対面白い。一読をオススメする。
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