遠藤周作「キリストの誕生」(昭和53年)を新潮文庫で読む。「イエスの生涯」に続いて読む。
自分、この本をてっきりマリアさまが馬小屋で…とか、東方の三博士が…とか、そういったキリスト誕生のころを教えてくれる本だとばかり思ってた。違ってた。「原始キリスト教団」について教えてくれる本だった。
イエスがゴルゴタの丘で処刑されたとき、なにもできずに逃げ出した無能な弟子たちが再び集まり「原始キリスト教団」を形成し、キリスト教が「ギリシャ語を話すユダヤ人」の新しい弟子たちを経て、異邦人へ、ローマへと布教活動を広げていく。いったいどうやって?
そのへんを小説家としての視点で掘り下げる。
ユダヤ教から派生したキリストの教えを信仰する人々は異邦人をも教団に受け入れる。割礼という神との契約をしていない異邦人たちへも布教するべきなのか?ユダヤ人は自分たちのことしか考えないのがデフォ。
遠藤周作せんせいは資料や学説を提示して独自の「私はこう考える」という自説を示す。
自分、ステファノという弟子の存在をこの本を読むまでまったく知らなかった。
ポーロ、ペトロ、ヤコブの死について、史書には何も記述がないことも知らなかった。
高校時代に世界史で聞き覚えた微かな記憶。フラビウス・ヨセフスというガリラヤ司令官の記した「ユダヤ戦記」という歴史書のことを今日までまったく忘れていた。ヴェスパシアヌス帝と息子ティトゥスのエルサレム包囲戦。そして神殿炎上。「なぜ神は沈黙を守るのか?」「キリストはなぜ再臨しないのか?」
イエスに関するさまざまな伝説や神話(その多くを我々は福音書のなかに読むことができるが)は彼の死後、わずか十年たらずのうちに既に出来たものである。
彼の死後、ほとんどただちに人々の間に語られたという事実を否定することはできない。それは使徒行伝やポーロの書簡の年代を調べれば明らかである。つまりイエスを現実に見知っていた者たちがまだ多く生き残っていた時、既にイエスを信仰の対象とするこれらの神話が信じられていたのだ。
砂漠の宗教であるユダヤ教では唯一神以外の神を信仰することは絶対に許されない。なのにイエスだけは神格化され受け入られていった。やはりイエスにはXとでもいうべき何かがあった…と遠藤先生は締めくくる。
この本、世界史教科書を読んでまったくイメージできなかったイエスの死後からローマ国教への間に存在する「原始キリスト教団」についての知識を補完してくれた。
この本を読めばそのへんはイキイキと理解できる。自分にとっては「イエスの生涯」と同じぐらいに重要さを感じた一冊。
キリスト教とローマの箇所がぜんぜんピンとこない高校生にオススメしたい。
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