角田房子「甘粕大尉」(昭和50年)を中公文庫(1979)で読む。この本はこの実物を見るまで存在もしらなかった一冊。
角田房子(1914-2010)を読むのは「閔妃暗殺」以来これで2冊目。
甘粕正彦(1892-1945)といえば麹町憲兵隊長時代に、関東大震災直後のどさくさに大杉栄と伊藤野枝、そしてまだ幼い6歳の橘宗一を殺害した甘粕事件を起こした極悪人というイメージ。この本の最初の4分の1はそこを扱う。
日本史の教科書ではほんの数行しか書かれていないことを、この本で詳しく知った。当時の世相、連行されるときの様子。殺害場所と状況。関係者。
この本のために角田房子さんが取材をしたのが震災から50年。まだ当時の関係者に直接話を聴くことができた。
どうやら、いち憲兵大尉にすぎない甘粕正彦に事件を企画実行する権限などない。甘粕の家族たちからすれば幼い子どもまで殺害するとはぜったいに考えられないという。
裁判記録を見ても軍の犯行をまるまる一身で背負ってしまったらしい。警察官僚だった正力松太郎も後にそのことを漏らす。甘粕事件の真相はいまもスッキリしない。
甘粕は幼年学校から陸軍士官学校へ進んだ生粋の軍人。13歳から帝国軍人の心を叩き込まれてる。だが、怪我で歩兵を諦め憲兵になる。この時点で最初の挫折。
上官の命令を黙って実行しその責任を負い、黙ったまま死んでいく。なので軍人たちは誰もが甘粕の軍人としての態度を賞賛。幼児殺害は許されないが、国体を危うくする無政府主義を殺害したことは、この時代の人々にとってむしろ良いこととされた。多くの減刑嘆願が集まった。
懲役10年の判決を受けた甘粕は模範囚でたったの2年で出所。フランスへ渡る。妻も同伴で。どうやらその費用は軍から出ていたらしい。
甘粕は大杉の仇として命を狙われていたのもあるけど、軍としては何か喋られるとマズイ。マスコミから遠ざけたい。
フランス滞在中の甘粕がほぼ廃人。軍籍をはく奪され人生の目的も失う。愚鈍な妻とは話が通じない。外国で暮らす基本知識すらも皆無。フランス語を学習する意欲もない。そもそも外国が嫌いだしフランスの文化にも関心がない。
甘粕は「自由・平等・博愛」という言葉を憎んだし、フランスという国にも文化にもなんの敬意も持たなかったらしい。
たよりになるのは陸士で同期でフランス留学中の澄田𧶛四郎。この人は帝国軍人でありながらフランス語ぺらぺら。
金に困っていたはずがないのだが、なぜか弟たちにお金を無心してる。これが謎。アムステルダムオリンピックも見に行ったらしい。ひょっとして競馬にハマった?このへんはよくわからないらしい。
角野さんはパリ、オルレアン、ルーアンも取材。こんなところに滞在してたの?と侘しい甘粕の心情を察する。憂鬱そうな顔に眉間に深い縦皺の甘粕の顔が目に浮かぶ。青年の挫折。
甘粕が満洲に渡ったのが昭和4年7月。板垣征四郎、石原莞爾の時代。日本のために身を危険にさらしていきいきと働く。この人は一度死んだも同然。なので捨て身で物事に執着しないし思い切りがいい。
資金源も持つようになったのだが蓄財に無関心。弟の証言ではお金の計算などまったくできない人。借家住まいだし余分なお金を家族にも与えない。ほとんどが工作資金に使われた。
この本は3分の2ぐらいがまるまる満洲についての歴史。教科書に数ページ書かれたことを読むよりも、こういった本のほうが理解がすすむ。
満蒙問題解決のために石原の手先となって裏舞台で秘密工作を働く。甘粕にとって最高の瞬間は天津を脱出した廃帝溥儀を営口に出迎えたこと。
建国時から満洲帝国では多くの場面に顔を出す。人殺しの汚名と人々の好奇と嫌悪の視線に昂然と顔をあげる。重要な会議にも参加する。
民政部警務司長になる。日本軍の南京占領のときに祝賀旗行列に漢民族を動員したことに甘粕は怒る。「これでは漢民族の反感を買う!」
憲兵たちの誤解で逮捕された満人有力者も釈放。満洲人の気持ちの分かる日本人だった。満蒙開拓団に対しても「地元民の土地を奪う!」と激怒。
ただ、建国廟創設の件では天照を祀ることには強く反対しなかったらしい。
甘粕は満洲国協和会総務部長になると石原莞爾と仲たがい。「思想のない実務屋」と甘粕を批判する石原を危険視。
一方で甘粕は、石原の満洲国建国の理念は理想論と切り捨てる。シナ事変後に状況は変化している。理念に固執していいことはない。
満洲国代表団の欧州歴訪で貴重な外貨で利ザヤを稼いだ団員を叱り飛ばす。元憲兵なので他人をしっかり観察。時間にルーズなやつに異常に厳しい。
甘粕の満映の理事就任には関東軍が抵抗。甘粕は関東軍のバックがあったから満洲の政財界で羽振りをきかせた…というのは間違いらしい。甘粕個人の力で築いたものらしい。満映では人事に大ナタをふるう。
自信満々で作った映画を日本の文化人たちに見せたら、みんな寝てる!?ってシーンが可笑しい。ちょっと可哀想w
甘粕は日本の敗戦を早々に予見していた?東條と石原の会見をセッティングしたりもした。
カラーフィルムの開発を進めて日本の敗戦後に満洲に何かを残したかった?北京の街路樹を坑木のために斬り倒すことにも「愚行だ!」と激怒。美しい古都の木を切れば戦後日本が嘲笑される!戦いに敗れた後も日本の誇りを保たねばならぬ。なんか、甘粕さんは正義の人に思えてきた。
甘粕さんは日本人にはすぐカッとなって怒鳴るけど、満洲人には横暴な態度をとることがなく信頼されていた。だが、山口淑子によれば差別心はあったらしい。
そして敗戦。ソ連軍がやってくる。人生を賭けた満洲国建設も道半ばで潰えた。
周囲から監視されていたのに隠し持っていた青酸カリで自決。なんか、可哀想な人生だった。
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