2021年6月14日月曜日

田中麗奈「暗いところで待ち合わせ」(2006)

ここ数年まったく存在を忘れていた映画「暗いところで待ち合わせ」(2006 ファントムフィルム)を思い出したように見る。十数年ぶりに見返した。原作は乙一の同名小説。脚本監督は天願大介。

事故によって視力を失ったミチル(田中麗奈)は父ひとり娘ひとりの二人暮らし。一緒に点字を学習中。
だが、いつものように仕事に出かけた父(岸部一徳)は出先で急死。突然ひとりぼっちになってしまったヒロイン。親戚一同「この先どうする?」とひそひそ。幸いなことにヒロインには父の残した一戸建てと死亡保険金がある。1人暮らし開始。とはいっても毎日ほとんどぼーっとして過ごしてる。親友(宮地真緒)もいる。
ある日、家の窓から見下ろせる場所にホームがある駅で死亡事故が発生。田舎駅でホームには数人しか人がいない。中年男性(佐藤浩市)が何者かに突き落とされた?現場から男が逃走。

アキヒロ(チェン・ボーリン)はヒロインがドアを開けたそのとき、盲目のヒロインの脇をすり抜け住居に侵入。この青年は毎朝ホームからこの家の窓を見上げていた。
そしてミチルの家に同居。そっと息をひそめて過ごす。だがこれは相当にハードルが高い。息遣いや衣擦れ、歩けば床がミシッと軋む。そういうヒヤヒヤシーンで映画として10分は持つ。

寝落ちすれば寝息やいびきをかく恐れもある。冬なのでくしゃみをしてしまう恐れもある。急に動けば衝突する。トイレはどうする?これは大変な苦労だ。
若い女性のひとり暮らし。風呂上がりに半裸姿だったりすると若い男は欲情を抱かないか?十代半ばから女優キャリアをスタートした田中麗奈はこの当時26歳。

そして隣人が井川遥。この人は2000年ごろグラビアとCMと女優とで大人気だった。
大石青年をてっきり中国人留学生か何かかと推定して見ていたのだが、中国人ハーフ?中国で暮らしていたために日本語が不自由でコミュニケーション不全で職場(印刷工場)で孤立。同僚たちが本人に聴こえるようにヒソヒソ「中国人」とか言ってる。

その中心にいるのが松永こと佐藤浩市。こいつがセンパイ風吹かせる。それにしても印刷工場で働いている男たちに品がない。みんな嫌なやつら。雰囲気が悪い。青年には殺害動機があることが示される。この青年の暗い日常シーンが長い。そして事件当日の朝。松永の背後に立つ。

やがてミチルは何かに感づく。相当に鈍感でも気づく。食料だって減っている。「ネズミかな?」「誰かいるの?!」

友人の強い勧めでミチルはひとりでも外出できるように練習を始めるのだが、車は急ブレーキで止まる。自転車が盲人の白い杖を弾き飛ばして破壊し「あぶねえんだよ!」と怒鳴る。どんだけ民度低い地域なんだよ。日本とは思えない。

こちらが何かに気づいたことが相手にバレたら何かされるのではないか?双方で心理戦かけひきバトルが始まる。
原作ではミチルは確証を得るために罠をしかける。男のほうでも何かを察知する。原作では双方からの主観で描かれる。
このあたりが最大の見せ場だったのだが、映画では大幅に割愛。映画の場合は視聴者が第三者として傍観する。活字で書かれている心理を映像化することは難しい。

踏み台でバランスを崩し棚から土鍋が落下し、間一髪ミチルの顔面寸前でキャッチするシーンがこの映画の最大の見せ場。これでミチルは完全に何かをつかむ。つい「ありがとう」と口に出す。食事を作って出すことも始める。未知との遭遇。部屋に知らない誰かがいることは恐怖のはずだが敵ではないという安心感。
家から出られなくなったミチルの件で友人とケンカ。電話にも出てくれない。出かけようとするもドアの前で脚がすくむ。そこでアキヒロが取った行動とは?!

松永を殺したのは誰か?2時間サスペンス要素はオマケ。ミチルとアキヒロの再出発のヒューマンドラマ。

何もかも台詞で説明する邦画サスペンスが多すぎる中で、どうして?と質問してくる視聴者にいちいち説明なんてしない静かな映画。そこは良い。だが結局、原作の面白さは超えていない。刺激が少ない。
ふたりの駆け引きがほとんどなくて物足りない。映画としては70点ぐらい。可もなく不可もなく。他にいろんな撮り方と描き方のアイデアも思い浮かぶ。

井川遥が2時間サスペンスの犯人の登場の仕方。松永殺害シーン回想はインパクトがあるけど、それ以外はほのぼのサスペンス。あんなことをしでかした犯人が「ごめんなさいごめんなさい」と泣くか?ここは興ざめ。

田中麗奈はかつて広末涼子と人気を二分した存在。広末は今もよく見かけるけど、田中はあまり見かけない。伝え聞いたところによると医者と結婚したらしい。医者と結婚するって本人にとってたぶん相当な安心感。

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