2021年3月17日水曜日

大森実「ムッソリーニ 悲劇の総統」(1978)

大森実「ムッソリーニ 悲劇の総統」(1978)という本があるので読む。1978年4月に講談社から出た単行本の1994年文庫化。「人物現代史2」とあるのだが、このほかに何冊シリーズがあるのか不明。

大森実(1922-2010)の著作を読むのは初めて。毎日新聞のニューヨーク支局長、ワシントン支局長を務めたジャーナリストらしい。自分はまったく知らなかった。

ベニート・ムッソリーニ(1883-1945)という名前は誰でも知っていても、実はよく知らない人物ではないか?まったく映画やドラマで見かけない。ヒトラーやスターリンや毛沢東ほどには大量殺戮のイッちゃった独裁者というイメージがない。

日本で読めるムッソリーニの伝記というと長らくこれ一冊だけだったらしい。取材当時はまだムッソリーニについて語ることはタブー。イタリア在留邦人からもムッソリーニの名前を出すと左翼テロに遭うかもしれないと警告。だが、ムッソリーニの生まれた村や墓に行くとすでに多くの芳名帳。この時代はまだ夫人も娘も息子もみんな存命中。

この本は1934年6月14日ベネツィアでムッソリーニがヒトラーを迎えるシーンから始まる。ベネツィア市民は自国の総統(ドーチェ)のみに熱狂。ヒトラーは政権とってまだ1年。ほぼ無視されて不機嫌。
まだ軍も掌握してないし、レーム粛清の1年前。青白いスーツ姿のヒトラーに対しムッソリーニは軍服姿で圧倒。ヒトラーよりも背の低いムッソリーニのほうが大男に見える。この時代の二人はまだ仲良しでもない。オーストリア、バルカン、アフリカをめぐる牽制と駆け引き。

ムッソリーニは社会主義革命家の父と教師だった母に生れ、自身も成績が優秀だったので教師になる。徴兵を忌避しスイスへ渡り日雇い労働。やがて政治運動へのめり込み、イタリア社会党機関紙の主幹を任される。ムッソリーニもジャーナリストで軍人でもなんでもなかった。もしかしたらイタリア共産党の創設メンバーになっていた可能性もあった。

イタリアは帝国主義植民地獲得競争に出遅れる。自国では石炭と鉄鉱石が出ないために外国から購入しないといけない。中小零細企業と貧しい零細農民ばかり。小国が分立していた名残から少数政党乱立。多くの戦死者を出し第一次大戦では勝利したはずなのに得たものは少ない。
左翼は反戦平和を求めるのだがムッソリーニは第一次大戦を見て参戦派になる。党を除名。

米ウィルソン大統領への期待も裏切られ、ダンヌンツィオのフィウメ占領を見てイタリア国民は愛国主義的気分へ。「未回収のイタリア」という幻想に取り憑かれる。
それから一気にムッソリーニのファシスト党が政権に。ナチスが政権を取るのに11年半かかったのだが、ファシスト党は11か月。ムッソリーニは4か国語に堪能で頭がよく喋りが上手く超有能。バラバラだったイタリアをまとめてしまう。

自分、高校世界史のときから「ローマ進軍」ってよく意味がわからなかった。大阪維新の会が私兵を率いて東京にやってくるようなもの?なんでそんなことが起こる?この時代の政党って暴力を伴ってるのが普通。そういう時代。

この本は第一次大戦からムッソリーニの死までのイタリアの歴史のおさらいとお勉強。この本を一冊読んだところでヨーロッパ戦線の刻々と変化する情勢を時系列で理解できないと思う。古い本なのでよくイメージできないセンスの古いたとえ話が多かった。

エチオピア戦争、スペイン内戦、オーストリア併合、ミュンヘン会談、ベルリンローマ枢軸、独ソ戦の事後報告、ギリシャ侵攻作戦の失敗、女婿チアノ伯爵とデボーノ元帥の処刑、ヴィットリオ・エマヌエーレ三世国王、連合国軍のシチリア上陸、バドリオ政権、ファシスト残党のサロ共和国、スターリン、チャーチル、ルーズベルト、パルチザン、ドイツ軍、戦後を見据えるイタリアの資本家たち、ローマ教皇、それぞれのキープレーヤーのことは1回本を読んだだけでは理解しきれない。これからも映画やドラマ、ドキュメンタリー番組なんかも併用して学んでいきたい。

若い愛人クララ・ペタッチと逃避行を続けた末に、だまし討ちのように殺されるまでの箇所は戦国武将もの歴史小説を読んでいるようだった。いくらなんでもロレート広場に吊るした件は人間として酷い。ムッソリーニを何度もだましたドイツ人と共産主義者は酷い。

0 件のコメント:

コメントを投稿