2020年11月29日日曜日

海底軍艦(1963)

円谷英二特撮、初代ゴジラの本多猪四郎監督による「海底軍艦」(1963 東宝)の存在は昔から知っていた。先端にドリルのようなものがついた潜水艦に巨大ウミヘビ怪獣がからみついてる画とか見たことあった。映画を初めて見た。たぶん高度経済成長時代の子ども向けお正月娯楽作映画。

自分、数年前に押川春浪による明治時代のSF冒険譚「海底軍艦」を読んだことがあった。この特撮映画はまるで別物。
だが、小松崎茂による轟天号のイラストは有名。音楽が伊福部昭なこともこの映画に興味を持った理由。

もう今の若い子は高島忠夫さんを知らない。イェイ!とかやってた高島忠夫さんを俳優の高島兄弟の父としか認識してないかもしれない。そういう自分も「アメリカ横断ウルトラクイズ」のYOUTUBE動画でしか見てない。この時代の二枚目(三枚目?)俳優。「まともですよ。キャメラのレンズのように正直ですよ!」この時代の人はカメラをキャメラと呼んでいた?

まあ、ストーリーが荒唐無稽。ツッコミどころだらけ。今も日曜朝にやってる戦隊ヒーローものや特撮ものはストーリー脚本にそれほど本気は出していない。暖かい目で見る。

あたりまえかもしれないが、もうすでに故人となった俳優だらけだ。
上原謙、天本英世、小泉博あたりは亡くなって久しい。藤木悠という俳優は久しぶりに思い出したので調べてみたら、やっぱり15年前に亡くなっていた。藤山陽子というほぼ無表情な女優はどうやらまだ存命中のようだ。
横浜のレンガ倉庫が出てきて驚いた。今とそれほど風景が変わっていないようだ。

伊豆大島三原山も出て来た。半鐘打って逃げ惑う島民のシーンに登場する道とかストビューで探そうとしたけど、この当時とは道も街並みもほとんど原型をとどめていないに違いない。
大島小涌園という看板があったので調べてみた。藤田観光系列のホテルチェーンだったらしいのだが2000年に営業を終えたらしい。

そもそも色付き眼鏡にベレー帽にオーバーコートなんて人間もいない。いたら目立つ。こいつが山を見ただけでボーキサイトやマンガン鉱脈があると断言する文字通りの山師。
ムゥ帝国の感じは第一次大戦後に南洋へ進出していった日本人の原体験がベースか?ムゥ人たちの儀式とダンスシーンが長い。

見てる最中はわくわくしながら見れた。だが、見終わってそれほどの満足感はない。昔の日本人がこの程度の映画で満足できていたとしたら、たぶんピュアだったんだろうなと。
この映画が封切られた時代はまだまだかつての帝国海軍の大将たちが存命だった。そんなことを想い起させてくれる映画。

3 件のコメント:

  1. こんにちは
    海底軍艦懐かしいですね。還暦を過ぎて初めて伊豆大島に行って見ようと思っています。小輩も海底軍艦のロケ地に行ってみたいと思い、ストリートビューとDVDをにらみながら探しました。住民が逃げるのは岡田の集落だと思いますが、やはりバックと合う地形が見当たりません。対岸の陸地が見えるので、元町でもロケしたのかもしれません。
    バスが沙漠の道に停まっているシーンもなかなか山の地形と合う場所が見つかりません。噴火で地形が変わったのかな。
    島に行ったら、役場か観光案内にでも聞いてみようかと思っていますが、いい年して何言ってんだと思われるのも恥ずかしいですね。でも島民が一斉に避難するシーンは、この映画から23年後に現実となっています。
    確かに突っ込みどころ満載なんですが、過去の記憶とオーバーラップするせいか、今見ても何かときめく映画です。

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  2. 自分も島民避難シーンはかなり探したのですが、おそらく岡田港じゃないかというところまでしかわからなかった。
    ひょっとして平野商店の看板が見えるあたりは
    https://goo.gl/maps/JVTp6Jcm42H8DvtW7
    じゃないかという気がする。

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  3. ブロガーさま
    なるほど変わってしまうものですね。いつ行けるかわかりませんが、自転車で一日ゆっくり回るつもりなので、ロケ地探索などもしてみたいです。そういえば大島にゴジラ像がありますが、ゴジラ1984のラストも三原山だったんでしたね。劇場で見たのだが全然忘れてた‥‥。

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