2020年10月10日土曜日

小川未明「赤い船」(明治43年)

数年前にBOで250円で見つけて買っておいた昭和49年ほるぷ社復刻版「小川未明 赤い船」をようやく読んだ。
明治43年12月15日、東京市本郷區の京文堂書店から発売。当時の定價金五拾銭。

それにしても装丁が味わい深い。こんな素敵な本を買い与えられた明治の子どもたちは親から愛されていることを感じたに違いない。

ページをめくっていきなり「おや?」と思ったことがある。「おとぎばなし集 赤い船」という表紙をめくると「おとぎばなし集 赤い舩」と書いてある。「船」と「舩」。なんだこの表記のゆらぎは?
意思疎通上のミス?旧かなづかいの本を読んでいるとそういうゆらぎは珍しくない。人名ですら読み方に関して昔はおおらか。
では順番に読んでいく。表紙イラストと挿絵は渡邊ヨヘイ。

「赤い船」
貧しい家に生まれた露子は村の小学校で初めてオルガンを見て音を聴いて驚く。この楽器は何処から来たの?「あの廣い廣い太平洋の波を越えて、其の彼方にある國から来たのだと先生は言われました」露子はいつか外国へ行き音楽を習うことを夢見る。

東京へ出た11歳の露子はさらにピアノや蓄音機を初めて見る。奉公で出た?そのわりに裕福な家庭の姉と一緒に楽しく遊んでる。海辺で海を行く赤い船を見る。「あの、赤い船は外國へ行くのでせうか。」「あゝ、きっと外國へ行くんでせうよ。」少女の空想は広がる。窓辺にやってきた燕とも会話する。

「童謡五篇」
これはとくに感想はない。子守歌など、明治の子どもたちが口ずさんだ童謡がそのまま掲載されている。

「白い百合と紅い薔薇」
静子は教会の帰りに天女と会う。キリストさまが天国で病気なので薬を探しにきたけど地球上の事は不案内なので代わりに探してきて!」ということで、静子は野を越え山を越え「紅、白、黒の紫陽花(あぢさゐのはな)」を探しに出る。たぶん法王庁は認めてないwストーリー。しかも明日の晩までに。幼い少女にそれはムリやろ。
途中で山雀(やまがら)、荒鷲の協力を得て3種の紫陽花を得て約束通りに天女に渡す。その代わりに得たのが「白い百合花と、紫の菫(すみれ)と、紅い薔薇花」。それから此の地球の上に新しい三種の美しい花が咲くことになりました。」
なんでスミレがタイトルから抜け落ちてるん?

「月と山兎」
いちばん耳の長い兎といちばん尾の短い兎の会話。月に住むおともだち兎のところへ行こうとする。
これが最悪のバッドエンド。この話を読み聞かせられた子どもは泣くかもしれない。鼈(すっぽん)の替わりに巨大ワニ設定にすれば、そのままフロリダの風景かもしれない。

「海の少年」
夏休みに江の島の別荘へやって来た正雄くんは海岸できれいな石や貝殻を拾っていると、岩の上に空色の着物を着た少年と出会う。
これは現代でも子どもなら誰でも経験がありそうな話。とても味わい深い。子どもたちに話して聴かせたい話。「ドラえもん」とかもこのバリエーション。

「靑帽探検隊」
この少年向け読物は明治という時代を感じる。現代の子はもう軍隊ごっこ遊び、探検隊あそびはやらない。船長、航海長、陸上探検隊長らにふんした少年たち(14~18歳)の北洋無人島探検。
「猛々しい面構えのものが獣の肉を焼いて食ってる」というだけで海賊と決めつけ皆殺しという信じられない展開w 現代の子供には読ませられない。

  • 「馬と金持」これは面白さがよくわからなかった。
  • 「電信柱と妙な男」背が低くて人と会いたくなくて夜中しか出歩かない男と、歩く電信柱の出会い。で?ってラスト。そんなに面白くも感じない。
  • 「燕と乞食の兒」これも特に感想はない。嫌われ者の悪ガキが燕になってどこかへ行ってしまう。
  • 「天使の御殿」は愛する家族との死別がテーマで物悲しい。
  • 「花子の記憶」なんとなく親しかった人が貧乏になっていた…って悲しい。
  • 「才治と大力源蔵」日本昔話的な?
  • 「二郎と美代ちゃん」意味なくセミを殺す男子を諫める女子。
  • 「憐れな家鴨(あひる)」これは何が伝えたいのかまったくわからない。鶴の卵を産まないで蛇の卵を産んだからと殺されるアヒル。子どもに語って聴かせたくないw
  • 「お濠あそび」医者を呼んで来たら「もう治った」って、それ、医者は「よかった」なの?
  • 「月の宮」フランダースの犬てきなラスト。
  • 付録おとぎ小説「森」予期せず遠野物語的なラスト。

「赤い船」で面白いと感じた話はすべて本の前半。後半は疑問な話が多かった。

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