2019年12月10日火曜日

H.ジェイムズ「ねじの回転」(1898)

H.ジェイムズ「ねじの回転」(1898)を2017年小川高義新訳の新潮文庫版で読んだ。約10年ぶりに読み返した。
The Turn of the Screw by Henry James 1898
「ねじの回転」は各社から文庫版が出ている。自分が前回読んだものはたぶん西川正身訳新潮文庫。
前回読んだとき、よく呑み込めない文章だと感じた。新訳ならさらに理解が進むかと思って読み返してみたのだが、やっぱりわかりにくい。
怪談の集まりでダグラスという人が、亡くなって20年経つ婦人の独白手記を読み聞かせるという形式。

こいつがヴィクトリア朝時代の婦人独り主観。幽霊ゴシックホラーとして読み始めるのだが、早々にこの家庭教師、思い込みと被害妄想の激しいちょっと頭おかしい人じゃね?って気づく。

ヒロインはロンドン・ハーリー街の紳士を訪ね家庭教師の職を得る。インドで客死した弟夫妻の遺児である幼い甥マイルズ(1学期が終わり寄宿制学校から戻ってくる)と姪フローラの面倒を見て欲しい。破格の待遇で。だが、この伯父は甥っ子たちには無関心。

エセックスの田舎屋敷へ馬車で向かう。マイルズとフローラの兄妹が「美しい!可愛い!天使!しかも聡明!」だと、よそ様の子の教育担当にしては異常な愛情を注ぐ。
前任の若い家庭教師の死、マイルズの学校から退校処分の手紙、などの情報を聞くのだが、これが詳しいことが何も知らされない。

やがて窓から家の中をのぞく男の幽霊を目撃。こいつを家政婦グロースさんに相談。どうやら亡くなった旦那の世話係だったピーター・クイントという男らしい。

グロースさんは自分にはない学と教養のある家庭教師を尊重し、いちおう熱心に聴いて相談に乗ってくれるのだが、話そのものよりも、この家庭教師に対して一番困惑してるw だって、自分は幽霊なんて見てないのだから。

子どもたちの想像力による一人遊びも幽霊との対話?さらに前任家庭教師ジェセル先生の幽霊も目撃?!「だってほら、そこに居るじゃん!」「え、見えないけど」そんなバカな。この新任の家庭教師の異常に熱心な訴えにますます困惑。

やっぱり読んでいて一番怖いのはこの若い家庭教師。子どもたちに何か隠してるんでしょ!と迫る。子どもたちも困惑。
やがて手紙の紛失事件、フローラとの決定的仲たがい。そしてラストでのマイルズの頓死。

自分、この場面でマイルズは「you are devil!」と叫んで死んだと覚えていたのだが、小川新訳では「ひどいよ」と訳されていてその微妙なニュアンスの違いに困惑。
この小説は訳者によってかなり印象が変わるかもしれない。

この家庭教師はどうも幻影を見ているとしか思えない。抑圧された性が引き起こす妄想ヒステリーと児童虐待? 今も昔もちょっとおかしい女性は多かった。ジェイムズは欧米各地を転々としたから、そんな女性をよく見聞したんだろう。

この小説、ヒロインの女性の一方的主観的手記を読まされるのでただひたすらモヤモヤする。
伯父、グロース、校長、子どもたちの主観の聴き取り手稿か何かも紹介して、芥川龍之介「藪の中」みたいにすれば娯楽作としてきっと面白くなる。

自分、長年「なんでタイトルがねじの回転なん?」って思ってた。巻末の訳者解説によって「ねじの回転とは酷い状況下でなおさら無理を強いる成句」だと知った。物語に趣向を添えるもうひとひねり、人が怪異に立ち向かうもうひと踏ん張り、という意味でも使われている。

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