2019年11月21日木曜日

阿川弘之「米内光政」(昭和53年)

阿川弘之(1920-2015)の本を初めて読んでみる。この作家の本には山本五十六、井上成美という海軍提督について書いた本があるのだが、今回はとりあえず「米内光政」(新潮社 昭和53年)を選んでみた。

阿川がこの本を書き始めた昭和51年は百武源吾、嶋田繁太郎が相次いで他界し、これで帝国海軍で大将だった人物のすべてが亡くなったという時期。

米内光政(1880-1948)という海軍大臣で首相について自分はほとんど知識がない。
岡本喜八「日本のいちばん長い日」では山村聰が演じてギラギラした三船敏郎阿南陸相と対立した人物。
あとは、2.26事件後の短命内閣が続いた時期に首相を務めた人物ということ、終戦工作をした人物ということしか知らない。

山本五十六にも東郷平八郎にも辛口評価だった井上成美が、とくに高く評価したのが米内。

米内光政は岩手県盛岡出身。極端に無口でめんどくさがりの性格。
江田島の海軍兵学校では真ん中ぐらいの成績でパッとせず、ハンモックナンバー制という人事考課システムを持つ海軍では目立たないコースを歩む。訓練艦の船長などしていたのだが、当時の最新鋭艦陸奥の艦長に。
これが一体なぜ?とざわつく人事。どうやら、長身で容姿端麗だったことが、誰か偉い人の目に留まったらしいw 

ここぞという切迫した事態にならないと口を開かない部下まかせ。朴訥とした人柄の列挙。歴代の佐世保鎮守府長官と比べて、かなり質素で地味な生活。酒飲んで浪曲を歌うことぐらいしか趣味もない。
そして海軍大臣へ抜擢。山本次官、井上軍局長とで海軍をコントロール。三国同盟に反対。そんなもの結んだら英米と戦争になるぞ!

前半はひたすら生前の米内を知る人物の証言がつづく。国際情勢や政局なんかをあまり扱ってなくて物足りない。
5.15事件や2.26事件、条約派と艦隊派の争いなんかを期待して読んだ自分としてはなにもかも物足りない。
トラウトマン工作、繆斌工作が頓挫した件での米内の立ち居振る舞いには何も触れない。

知人や同僚、部下の証言、そして料亭での米内ばかり。少年時代や若者だったころは一切描かれない。
運命を左右する緊迫した場面があるだろう!もっと劇的に描けるだろう!
この人は戦争中は予備役で政治からも離れていた。東條首相時代はほぼ隠居生活の空白期。そして小磯内閣で海相に復帰。昭和天皇の強い希望で。

だが、この人が日本の歴史に名前を刻んだ大きな出来事があのポツダム宣言を受諾するか決定した会議の場面。この時期の米内海相は異常な高血圧で焦り気味で神経質だったらしい。

「日本のいちばん長い日」で、海軍省から戻った米内海相が会議室のドアを開く前に考え直してトイレに行く場面を、自分は悩む男の背中を見せる演出かと思ってた。だが、下村情報局総裁の秘書官に実際に目撃されていたことだった。「人がこんなに深いため息を吐くのを聞いたことがない」

広島長崎、そしてソ連の参戦。戦艦を動かす油もなく、国民に米麦野菜芋どころか塩の配給をも滞る。駐ロシア武官だった米内海相(ロシア語が堪能!)はロシア革命と蜂起した民衆を実際に見ていた。これはもう戦争を続けるのは絶対ムリ!
「あと2千万人の日本人を特攻で殺す覚悟なら、決して負けはしません。もう一度やらせてください!」で有名な大西中将と大臣室で激しい怒鳴り合い。陸軍もこんな奴らばかり。

三国同盟と対米英戦に強く抵抗し、命を狙われても終戦へ強いこだわりを見せた。その経歴を連合国側は詳しく知っていた。そのため戦犯にはまったく訴追されなかった。

米内は戦後の幣原内閣でも海相に留まった。勝海舟に始まった帝国海軍省の最期の大臣。
いつも姿勢がビシッとしていて、頭脳明晰でブレない男。
議会で陸相が手をついて謝罪したのに米内海相は議長の呼びかけを無視。後で糾弾されても「議事録を見ろ!あれは陸相への質問だ」

首相も務めた人なのに一般国民と同じように貧乏生活。享年68。

この本、断片的で全体像をつかみにくい。文体もそんなに感心しなかった。
何か知識を得るためだったり、高校生が受験勉強のために読むには適さない。海軍の関係者の名前はたくさん知れた。

あと、日本には戦争末期までブルドーザーがなかったということを初めて知った。米軍が奪還した島に2日3日で飛行場ができてしまうことが軍の幹部には不思議だったらしい。

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