尾崎放哉(1885-1926)という俳人の小豆島での晩年を描いている。自分はこの人を「咳をしても一人」の自由律俳句の人という知識以上のものはもっていなかった。放哉を知りたいというより吉村昭の本だからという理由で手に取った。
この本を読み始めてすぐに後悔した。あまりに悲惨すぎてもはやホラーだと思った。読んでいて他人事だと思えず苦しすぎた。
端的に説明すると、身寄りもお金もない独居中年男闘病孤独死日記。こんなに読んでいてつらい本は初めて。
俳人なのだから、俳句で生活していたのかと思っていた。間違っていた。俳句で食べてはいられない。
一高から東京帝国大学法学部を経て生命保険会社で要職を勤めるエリートだったのに、あまりの酒癖の悪さから人生を転落。満州へ渡りそこでも酒で問題を起こす。酔うとやたらと狂暴になって他人を見下し攻撃し顰蹙を買う。
会社をクビ。夫人と別れ京都、須磨、浜田を寺男として流浪。托鉢などして生きながらえる。やがて寺での勢力争いに嫌気がさす。やっぱり酒で問題を起こして追い出される。
大学時代の先輩で「層雲」を発行していた俳人・荻原井泉水の紹介で小豆島へ渡る。井上一二という醤油蔵を営む俳人を頼るのだが、この人は大して親しくもない他人。
あとは寺の庵に住んで巡礼者の賽銭を糧に、足りないぶんは食べ物を分けてもらう極貧生活。日々俳句を作って暮らす。
この人は生活をする能力がなかった。働く気力も体力もなかった。ひたすら金の無心をする手紙を書く。それも大して親しくもない人々へ甘える。プライドが高いのに卑屈で心が不安定。相手の表情から蔑みや困惑を敏感に読み取る。井上も住職も不親切だと心で罵りいらだつ。で、金もないのにやっぱり酒に逃げて問題を起こす。
自業自得、自己責任という人もいるかもしれないがこの人は肺病を患っていた。寒さに震えるも炭も買えない。はげしく咳をして熱を出して寝込むのに薬も買えない。
それでも自分の俳句を評価してくれる少ない人がたまに多少のお金を与えてくれたりする。ガリガリに痩せ廃人同然になっていく。貧乏が寿命を縮めた。
肺病は悪化すればするほど頭が冴えるらしい。絶望の中で傑作を残した。
なにがたのしみで生きてゐるのかと問われて居る自分も同じ。生きててそれほど楽しいこともない。他人事じゃない。
戦前の日本の農村部の貧困の酷さは知ってるつもりだったのだが、住宅と衣服と最低限の食料と暖房と医療がないと絶望的に悲惨。ソ連(ロシア)の50代以上の人々は西側の人々は哀れだと教えられて育ったそうだが、それはあながち間違っていない。とにかく日本は今も貧しい。
放哉には小豆島に渡る前に台湾に行くという選択肢もあった。台湾なら寒さに震えることもなかったかもしれない。
それに地方であっても都市部の郊外なら、寺子屋でこどもたちに英語でも教えて収入を得られただろうに…と思った。だが、肺病の先生にこどもを預けたい親はこの時代にはいないか。
享年42歳。読んでる最中は90歳ぐらいの老人のように思えた。1日1日がサバイバル。
吉村昭も若い自分に結核で死を意識した。放哉には親近感を持っていた。書簡などを調べてこの本を書きあげた。放哉の心理を読み取って補完して読者に伝える。
とにかく暗い気分になる1冊なので、よほど人生が充実して豊かな人以外は読んではいけない。自分もこんな最期を迎えるかもしれない…って気分になる。
いつしかついて来た犬と浜辺に居る
返信削除とんぼが淋しい机にとまりに来てくれた
早坂暁の「山頭火」を昔、TVで観て、尾崎放哉を知りました。フランキー堺の山頭火は勿論、ただのお笑い芸人だと思っていたイッセー尾形の放哉も素晴らしかった。
そんなわけで山頭火の俳句集や「海も暮れきる」も読みました。自分の最初の挫折の時期だったので、山頭火や放哉の姿が妙に愛おしく哀しかったです。
幸いか不幸にもか、自分には特別な才能などなく、酒も破滅するほどは呑まなかったので、なんとか生きております。
放哉の句集は青空文庫「尾崎放哉選句集」で読めます。とてもいいです。
最近もNHKのアーカイブで早坂暁作品が何回か放送されていました。できるなら「山頭火・何んでこんなに淋しい風ふく」もまた放送して欲しいです。VHSで録画した映像をDVDに変換して持っていますが、かなり粗くて画像の下が波打っていますから。
ええっ!?俳句にも詳しい!自分は今までほとんど俳句には感心もってなかった…。
削除この本の放哉はアフリカの難民以下の暮らしで本当に読んでいてブルーだけど、今の日本も大して変わってないなって。
酒を飲みすぎるのだけはやめておこうって教訓。これ以下の最悪はないって反面教師。